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同じくらいの実力で、教本も同じくらいの箇所をやっている・・・と思っていた生徒さん2人が、気がつけば、半年で2倍以上の進行の差となっていることは、ピアノでは珍しくもない。

2倍どころか、10倍、20倍以上の違いになるのは、ピアノならではなのかもしれないが、他人との差や違いなどはあまり気にしないタイプだと思っていた生徒さんでも、小学校の3年、4年くらいになってくると、そういうことに、敏感にもなってくるもで、コンクールや発表会など、人前での演奏で、実力差を感じて、気にするのかもしれないし、レッスンでも時々そういう言動が生徒さんにも見られると、指導者である自分は、その気持ちを、うまく上達へと導きたいが・・・

2倍以上のペースの差というのは、日頃の練習でも、2倍以上の練習の差であるのだから、その現実を改善しないと、追いつくどころか、差は広がる一方だろう。

毎日の練習が、2倍の差・・・これは、単に練習時間の差ではなく、同じ1時間の練習でも、譜読み、理解、弾く、改善といったピアノを弾く脳と動作のサイクルの速さが、2倍の差があるということだろう。
だから、同じ時間練習しても、短時間で出来る人と、時間のかかる人がいるわけだが・・・

きっと、この初級の段階で、練習の効率を良くして、なんとか短時間の練習でもいいペースで進むように・・・というのは、難しいのだろう。
と思っていたところに、ピアノとは全然無関係の分野の人と話をする機会があって、その人は、日々の仕事に関して、
「やはり、同じ時間内で出来ない人は、能力に差がある、能力が無いからできないとあきらめる前に、他人の2倍の時間をかけてやってみる。
それを続けてもできないのであれば、きっとできないことなのだろうが、それをやらないで、言い訳をしている場合ではない」
のような話があり・・・本当にそうだと思った。

ピアノでも、初級~中級の生徒さんで、進行が遅い人は、やはり量をやってみることが必要。
量を弾けば譜読みも早くなり、テクニックも向上して、演奏力もついてくる。
そしてさらに上達すると、同じ1時間でも、できる量が増えるので、曲数も持っても大丈夫になるし、できないのであれば、もう少し時間をかけて弾こうという意識もできて、つまりは好循環をつくれる。

効率のいい練習というのは、その後の話であって、できないのであれば、練習の量、回数、これはある程度は必要。
ここを今年は少し重視して、新しい年のスタートとしたい。
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自分は、普段の食事は、どちらかというと「量より質」なのかもしれない。
腹いっぱいに食べたいというほどでもなく、美味しいものが普通にあれば十分というところ。
事実、外食に行っても、
「もうそれで、お腹いっぱいなんですか?」
などと言われることも多い。

ピアノの練習も、「量より質」というのは、たぶん正解だろう。
だらだらと時間だけ過ぎていくような譜読みをしたり、集中力の欠いたテクニック練習を繰り返しても、効率は良くないだろう。

だが、昨年の1年間を過ぎて思うのは、当然ながら練習は量も必要だということ。
しかも、それは初級~中級程度の生徒さんに関しては、可能であれば、量をかなりこなしたほうが良さそうだ。

それは単に、毎日の練習時間ということだけではなく、どれだけのペースで進めていけるのか、ということにも関連している。
教本などが進むのが早いペースが、=(イコール)演奏力、そして総合力が上がったという単純に図式には、ピアノの関してはならないと思うが、ペースの早い生徒さんと遅い生徒さんが、そのまま実力の違いに現れているのも、事実だろう。

考えてみると、半年間で、教本が3冊の人と、1冊とちょっとの人では、半年という時間のなかでこなせた量が、2倍以上違うということ。
仮に、この2人の生徒さんの、毎日の練習時間が1時間ほどで同じくらいだとしても、2倍の進行スピードの違いは、2倍の譜読み量の違いであり、2倍の新しい曲の体験の違いであり・・・と、たくさんの2倍の違いだということ。

そして、これが現実には、2倍どころではなく、10倍、20倍以上の違いとなることは、少なくない。
ここまでの違いになるのは、もしかしたらピアノというもの特有なのかもしれないが・・・
書き溜めたものもあるし、書きたいことも多いのに、ちょっと書けない日々の今年だった・・・けど、まあ書いてます。

さて、今年も終わってみれば、日々のレッスン、コンクール、発表会もあっという間だった。
いつも以上の勉強、準備、気合・・・と思って挑んではいるものの、そんなに簡単に進歩したり、解決したり、演奏が向上したりもしないのが、ピアノという世界。
だからこそ面白いのであり、仕事として続いているだろうと思う。

生徒さんの状況としては、初級~初中級の生徒さんが、「停滞ぎみ」と「著しい進歩」に、少し分かれた1年だったかもしれない。
人間は、ある一時期にポーンと伸びる時があり、それが数名にあった。
これは、その時期に、なにかのきっかけで伸びた、のではなく、その時期に来る前の期間の練習が、実を結んできた結果として、少し加速度的に伸びる時期がくるのだと思う。

つまり、大事なのは、きっかけではなく、日々の練習の積み重ね。
練習の積み重ねがあれば、きっかけは無くても伸びる。
逆に言うと、あることをきっかけに、それだけで伸びることは無いだろう。
素晴らしいコンサートや公開レッスン、日々のレッスンで受けた衝撃は、いいきっかけかもしれないが、それだけでは伸びることはなく、それを受けて練習につなげないと、進歩はない。

だから、レッスンでの反応が良いように見える生徒さんでも、次週のレッスンで演奏が元に戻ってしまっていたら、先週のレッスンを活かせていない・・・
これを、痛感した1年だったとも言える・・・

さて、来年も良い年になりますように。
ピアノ限ったことではないだろうが、物事は初級だったり、あまり出来ていない頃は、少し弾ける(できる)と、
「できた~」
と、自身を過大評価するものだろう。

それが、だんたん初級が終わって中級からそれ以降となるにつれて、教本のレヴェルや弾く曲のレヴェルが上がるだけではなく、それ相応の演奏力が必要となり、また次第に理解も深まってくるので、
「できない・・・まだまだだ・・」
と、自信を無くしたり、自身を過小評価するようになる人もいるものだ。

そして、その
「まだまだだ・・」
が、単にがっかりということではなく、しっかりと練習や勉強をすること、物事はピアノにかぎらずに、何でも簡単には結果には結びつかないことを、ピアノからたくさん学んで欲しいと思う。

さて・・・今年も残り少なくなってきたが、書きたいことはたくさんあるのに、整理できずに過ぎてしまうことも多かったので、また少しずつまとめていきたいと思うが、今年最も再認識させられたことが、上に書いたようなこと。

初級には初級時代の、中上級にはそのレヴェルの、そして生徒さんそれぞれ個々に課題はいつもつきものだが、今気になる自分の生徒さんの課題としては、初級~初中級の生徒さんの実力の底上げ。
これが、うまくいった人もいれば、そうでもない人も・・・

そしてそれは、気がつけば個々の生徒さんで、かなり大きな差となって表れているので、半年前まで同じ程度の譜読み力、演奏力だった2人が、もう明らかにワンランク違うということに・・・

個々の生徒さんのペースというものがあるのだから・・・とも思うが、小2の終わりくらいの年から、そういう他人との差や違いというのに、子どもも敏感になるもの・・・
当然ながら、保護者さんだって気になっているだろうが、それがいい方向にでる保護者さんもいれば、実はそうでもない方もいるなど、少し難しい。

などのようなことを、また少しずつ書こうと思う・・・
子どもは、
「脳が柔くて、吸収力が大人よりもある」
という漠然としたイメージを、自分も含めて、われわれ大人は、勝手に抱いているように思う。

しかし、新聞その他の情報を得ながら考えてみると、どうやらこれは少し違うようだ。
まず、
「吸収力がある」
というのは、それほど間違っているわけではなさそうで、音を捉える聴力(単なる音感のことだけではない)や、言語を覚えていく力というのは、大人よりも子どものほうが吸収力があるのは、間違い無さそうで、これは日々のレッスンで、自分も感じているところ。

だが、
「脳が柔らかい」
というようなイメージ・・・子どものほうが、大人よりも考えに柔軟性がありそうという意味だろうが、これが、ちょっと違うらしい。
実は、子どもは、一度思った考えや、決めたことを、簡単には曲げられない・・・つまり、柔軟性は無いそうで、これが変な意地になってしまったりすることがあるらしい。

言われてみれば、たしかにそんなことは、過去にも現在でも、レッスンでたくさんあった。
「その音違うよ」
と指摘しても、一度覚えてしまったら、すぐには直せないし、
「そこはスタッカートで、このように弾こう」
と言っても、レガートでやってきたら、即座にはスタッカートにできない・・・
さらには、
「こっちの曲が、いいと思うよ~」
と言っても、頑固に違う曲のほうを弾くと言い張る・・・
こんなことを経験しているピアノ指導者は、結構多いのではないだろうか。

そういう時に、大人側としては、時には譲らず、時には妥協もしながらという、バランスも必要なのだろう。
そのうち、生徒さんも成長して、間違った古い情報を正しく直すことができたり、考え方に柔軟性もでてくる・・・のは、だいたい何歳くらいからなんだろうなぁ・・・
発表会のプログラムは、時代も地域も幅広い作品を並べたいと思いつつも、ここ数年、ロシア系はあまり弾かれていないような気がする。
チャイコフスキーやショスタコビッチなどの小品が並ぶことはあっても、これらの作曲家の中級レヴェルの曲も弾かれていないし、プロコフィエフやラフマニノフも演奏されていない。

ロシア物は、自分としては幼児期から山ほどのレコードを聴かされて育ったせいもあり、また当時のロシアの一流オケなども聴きに行った思い出もあるせいか、結構馴染みのある分野であるとは思っている。
しかし、ピアノとなると、生徒さんが中級レヴェルになると、あまりレッスンでは取り上げていないようにも思うので、発表会曲を選ぶ段階の、
「この曲はどお?」
という選択肢には、入れているつもりだが、選ばれないことが多いのだろうか・・・

もし入れるなら、選択肢の候補はチャイコフスキーだろうか。
「四季」なら中級くらいのレヴェルの生徒さんにちょうど良いだろう。
あとは、プロコフィエフあたりも生徒さんに弾いてもらいたい。
「10の小品Op-12」などだったら、2曲を組み合わせで弾いても演奏効果もある。

ただ、これらの曲を弾けるくらいの生徒さんの場合、他の作曲家でも、ショパン、シューマン、ドビュッシー、ベートーヴェンなど、魅力的な作曲家の曲はたくさんあるので、それらを検討した上でも、チャイコフスキーやプロコフィエフを選んでくれるのかは、たしかに微妙かもしれないが・・・
高度な表現、高度なテクニックなどではなく、基本中の基本のようなことでも、生徒さんによっては、
「できていないので、できるようにしよう!」
ということを、認識させることは、とても難しい・・・

それを、この8ヶ月くらい実感することが多く、対策をいろいろと練ってきた。
多くの生徒さんの場合、たとえば基本的なことで、できないことがあると、
"できていない”ということはわかっているが、今すぐには改善できないということがほとんどなのだろうが、この生徒さん(シャキさん)の場合には、そうではない。

"できていない”という認識がほとんどないので、
「手のフォームはこのようにするよ~」とか、
「こういうスタッカートで弾くよ~」
などと言っても、反応はするような素振りは見せたり、真似するような素振りもするが、少し弾いてできてつもりになっている。
これを改善させるには、横でお手本のように弾いてみせるだけでは、どうやら不十分のようだ。

と思って、ここは、逆お手本をやることにした。
モリス : こんな(実演でやる)ダダダダ~のような、スタッカートは、カッコ悪いよね・・

シャキさん : あ・・それって、私かも・・・

モリス : この(実演)ダダダダ・・・スタッカートと、(実演)パッ!パッ!というスタッカートと、どちらが良いかな?

シャキさん : 後の方が良かった~

モリス : では、やってみてください

シャキさん : (弾いてみる)ダダダダ・・あれ・・・

モリス : こういう風に(実演)ジャンプ!で、パッ!っとやる

シャキさん : (弾いてみる)ダッダッ・・・

モリス : さっきより、良くなってきた。もう少し手をこのように~ジャンプ

といった感じで、最初から模範をやるのではなく、シャキさんの真似をして、逆お手本をやってみせる。
そうすると、シャキさんも、それが自らの弾き方だと気がついたようだ。

この逆お手本は、時には少し大げさにやってみると効果的のようで、シャキさんも、逆お手本のようにならないように弾こうとする姿勢が、最近は結構見え始めている。
そして、次の段階としては、逆お手本をやらなくてもいいようにしたいのだが・・・まあ、そうすぐにはいかないだろうが、逆お手本は、違いを認識させることには、少しずつだが効果はあるようだ。
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