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よく文中に登場してくる白髪爺さん教授。この方は当然のように相当弾ける人だったが、拍手をする女先生も、定期的にリサイタルなどもおこなう人であり、かなりの腕前だった。

しかし、かなり前に一度くらい触れたかもしれないが、拍手をする先生のピアノの弾き方は、実はあまり参考にしたいような手や指の使い方ではなく、効率も良さそうには見えなかった。

これについては、拍手をする先生自身がもっともよく理解されていて、
「今の人(当時の学生達や若い講師、若手ピアニストのこと)の方が、弾き方はいいですね~。私はね、あまりいい弾きかたでもないのですよ。力も結構入っていますから~」
などと言っていて、ついでに
「モリスさんも、弾きかたは私よりも、ずっとずっといいですよ~(ここで拍手)。
ですから、レッスンは私の弾き方を教えるのではなく、今のモリスさんの弾き方をさらに向上する手助けと、表現したい音楽を構築するためのアドヴァイスですよね。」
とのことだった。

これを言っていたのは、自分が拍手をする先生に習い始めたばかりのことだったと思うが、今考えてみても結構すごいことだと思う。
ある程度の地位にあるような指導者が、「私の弾きかたはあまり良くない」などとは普通は言えないし、自身のピアノの弾き方の質について、自覚していない指導者の方が多いように思う。

これは習う側の生徒さんにも言えることで、「私の先生の弾きかたは、良い弾きかたなのかな」と、レッスン中に指導者を観察して考えることも、本当は重要だと思う。
そして、拍手をする女先生のように、自身の弾きかたはあまり良くないと自覚している指導者は・・・きっと良い指導者のような気がする。
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「その手を貸してください」と冗談半分に言われこともあり、人の演奏を良く言うことは少ない白髪爺さん教授までもが「ピアノ専門人でも1000人に1人の手」と言うほどの手を持つ「あの手の彼女」について書いてきた。
他にも彼女の練習方法などはあったと思うが、全てを覚えているわけでもないで、一応このあたりで一区切りにするが、ここで白髪爺さんの彼女へのレッスンについて少し書いてみる。

当時は自分も同じく白髪爺さんに習っていたが、とにかく意見が合わなかった。これは既に過去に書いているので詳しくは省略するが、自分はレッスンで良いことを言われたことがほどんどないくらいで、特にバッハとベートーベンでは徹底指導を受けた。

では、彼女のレッスンではどうだったのだろうか。
彼女が言うには、
「白髪爺さん(と彼女は言わないが)は、感想はあまり言わないし、提案も無いかな。曲の中で定まらないような感じで弾いていると『そこ、どういう感じで弾くんだ?』とは聞いてくるけど。
レッスン時間にたいして曲が多いから、それぞれ1回通して弾くくらいで、あとは『まあいいだろう』か『次回はこの曲はもっと完成度をあげてくるように』という感じで」
ということらしい。
それを聞いたときは、同じ白髪爺さんに習っているのにかなり違いがあるとは思ったが、当然といったところだろう。

彼女のレッスンについて、自分は白髪爺さんにも聞いてみたことはあったが、
「聴いていて、おかしなところがあっても、すぐには言わない。彼女も気がついていて次回に修正されてくる場合も多いから。彼女のレッスンで重要なことは、ここをどうしろとか言うことではなくて、課題を弾いてくるペースを維持することだな」
と言っていた。
確かに、レッスンというのは定期的に他人に聴いてもらうこと自体が重要という面もあるが、白髪爺さんが「聴く役割」にほとんど徹しているとは、やはり高度なレッスンだということだろう。
そうだとしたら、自分のレッスンの時も、白髪爺さんには「聴く役割」をして欲しかったが、残念ながらそのようには最後までならなかった。
彼女がピアノを弾いているの姿は何度も見たが、、どんな曲を弾いてもそれほど意外性のあるような指使いをしている様子は無かったと思う。
これについて彼女は、
「私は使用楽譜に書かれている指番号を、結構そのまま使うことが多いかも。馴染みにくいと感じたら、他の楽譜を参考にすることもあるけど」
と言っていた。

だが、フレーズや弱音との指の関連について
「特定の箇所によっては、この指使い意外はありえないと思うこともあって、はっきり言うと、この指使い意外で弾いている人は『ちょっとね』と思うこともある。
でも、指使いならモリス君の方が研究好きなんじゃない?」
とも言っていた。
確かに、自分は困難な箇所をより弾きやすくしたり、音との関連性がより深いような指使いを工夫するのが当時から好きではあった。楽譜も何種類も比較するのも好きで、それにかなりの時間を費やすことも。
だが、彼女は指使いを工夫するというよりも、曲を弾いて時に「既に決まっているようなもの」だったのかもしれない。
世に一般的に知られているようなピアノ曲で、弾けないものなんて彼女にはあるのだろうかと自分も思うくらいだったが、彼女本人が言っていたように、
「どちらかというと、子供の頃から不器用なタイプだった」
だそうだから、それを聞かされた当時は不思議だった。

しかし、自分もそれから多くの人の演奏を聴くようになり、手も見るようになり、そして生徒さんの指導もするようになってからは、彼女の言うような「不器用なタイプ」というのが、悪くはないということは実感できるようになった。

とても簡単に言ってしまうと、ピアノの習い始めから指もすぐに動くようになって、スイスイと弾けて曲の難易度がどんどん上がっていくような人よりも、少しずつ弾いて教則本や練習曲も着実なペースでレベルアップしていく人の方が、その後~例えばピアノ歴10年くらいになった時には、うまくなっているようにも思うのだ。

これはそうだともは限らないが、そういう例は結構あるし、彼女はやはりそういうタイプの人だったのだろう。ただし、手の動きに不器用さがある段階でも音楽を感じる耳などは非常に発達していったのだろうから、単純に言うと「耳が先で後から指がついてくる」というところだろうか。
逆に耳の感覚が鈍感なままだと、厳しいとも言えるだろう。
彼女が自分と同じく白髪爺さん教授に習っていた当時は、ショパンやリスト、シューマンなどを主要曲としていくつか弾いていたが、バッハも常に弾いていた。
そして、ベートーベンも常に弾いていたと思う。
ベートーベンをいつでも勉強するように課題にされるのは、白髪爺さんの定番方針だったので、自分も含めて皆弾いていたが、彼女のように別格だと思われる人でも、主要曲ではなく同じくベートーベンを弾いているとは少し意外な感じだった。

しかも彼女が当時弾いていたのは、「熱情」でも「ハンマークラヴィーア」でも30番以降でもなく、9番とか16番などのあまり難しくもないソナタだった。
これは白髪爺さんの方針でもあったのだろうが、彼女はこれに納得していたようで、
「白髪爺さん(と彼女は言わないが)がベートーベンをもう一度しっかり弾けというのは、そのとおりでしょうね。リストの練習曲などを弾いていて、何か変な慣れのようなものが出てしまうことがあるけれど、ベートーベンを練習に入れていて、技術的にもいろんなことを再確認できる」
と言っていた。
それについては白髪爺さんも、
「何でも弾けそうな彼女の手だが、まだ悪い方向へと行ってしまう可能性だったある。リストやプロコフィエフやスクリャービンを弾けたら、はいそれで技術は良いというものではないからな」
と言っていた。
そして、自分のレッスンでも
「ピアノを弾く上での高度な基本というのは、確立したかのような時期が結構大切なのだ」
と、白髪爺さんは繰り返し言っていた。
ここまで数回に分けて、自分と同じく白髪爺さん教授についていた「その手を貸してください」という冗談を言われるくらいの手を持つ「あの手の彼女」の練習方法を中心に書いているが、ここで少し休憩というか、その彼女の耳について。

彼女が自在とも思えるほどの素晴らしい手を持っていたのは誰もが認めるところだったが、それは当然のように非常に優れた聴の感覚があることが前提になっていたと思う。
耳のすばらしさと言っても、絶対音感があるという意味ではない。彼女は絶対音感を持ったが、自分と同じくほどほど絶対音感であって、机を軽く叩いてその音程がすぐにわかるほどでは無かった。
耳も指と同じくすぐには進歩しないものだから、彼女が持っていた耳は、やはり長年かけてつくられていったのだろう。
彼女はピアノを習い始めた頃から多くの音楽を聴いていて、両親はピアノ音楽も好きだったが、それよりもモーツァルトの交響曲やチャイコフスキーの交響曲、そしてワーグナーが好みだったらしい(この点は自分のところも少し似ていて、子供の頃はベートーベンやシベリウスの交響曲を多く聴いていた)。

彼女はの子供の頃から聴いていたそれらの音楽が、ピアノ演奏に直接関係しているとは思わないとしながらも、
「オーケストラの楽器の聴き分けとか音のバランス、旋律の歌い方やリズム感などが、長年聴くことによって私自身の耳をつくることに影響はしたとは思う」とは言っていた。
それと同時に、
「良い響きバランスなどが身についているのはいいけれど、好きな音の響きバランスが固定してしまうのも面白くないから、時には意識して音のバランスと崩すことの必要性も感じる」
と言っていたことは印象に残っている。
テンポの変化練習というのをやる人も多いと思うが、彼女もテンポを変えて練習することは重要だと考えていたようで、メトロノームを使った練習もしていた。

だが、メトロノームを使うと言っても、よくあるようなそれに合わせて少しずつ速いテンポにして弾く練習ではなく、既に仕上がった曲のテンポを、変化させて弾くという練習だった。
ショパンのエチュード、例えば作品10の12の革命なら、当然4分音符が160またはそれ以上のテンポで仕上げの演奏ができるが、彼女はメトロノームを鳴らして異なる速さの152を確認したら、その速さでも最後まで弾ける。
自分はこの練習にそれほど意味があるようには思えなかったが、彼女は
「だいたい高速の曲を弾くとき、多くの人は何となく限界に近いスピードで弾けると、それが仕上がったテンポとして定着させてしまうけれど、本当はそうではないと思う。革命が160では無理だから150くらいではなく、160で弾けるけれど、テンポ設定を十分に考えた上で152にするというのが、自らテンポを決めたと言える気がして」
と言っていた。
結局、革命は160が良いと言って弾いていたが、例えば同じショパンのエチュードでも指定テンポ以上で弾ける技量はありつつも、10の1なら指定176よりも少し遅め、10-4は素晴らしく高速で弾いているなど、全ての曲で本当に「自らテンポを決めて」いた。
また「レッスンや舞台上でいつもより速くなるのを防ぐ効果もある(彼女は白髪爺さん教授のレッスンで緊張するような人では無かったが)」と彼女は言ったいたが、このテンポ設定と練習はとても高度なことで、技術に余裕があるということを一層感じたものだった。
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