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彼女が中学生時に曲の中心として取り組んでいたのはモーツァルトのソナタだったが、モーツァルトについては、
「また後で何度も繰り返し重点的に勉強する機会がきっとくるから、先生が要求するレヴェルで良いことにしていたように思う。必要以上にねっとりとした表情をつけるようなモーツァルトにはしないことや、最低限のバランスくらい」そうだ。

代わりにというわけでもないだろうが、彼女はひとつだけ自ら加えていたのはシューマン「子供の情景」やドビュッシー「ベルガマスク組曲」などの、それほど規模の大きくない小品達だ。
これらの中から既に弾いた曲もあったそうだが、手をつくっていく作業の中で、実際にこういった表現力を問われる小品を演奏することによって、指の加減とイメージする音が一致しているのかを、確かめるような目的だったらしい。
「耳と指の一致は小品を弾くことでさらに良くなったと思う。それまでも私は音のバランスは悪くないと言われいて、耳にはある程度の自信があったけれど、かつてはイメージに手は追いついていなかったから」
と言っていたのは印象的だった。
「子供の情景」や「ベルガマスク組曲」は、一部に少し弾きにくい箇所があるものの、難しいということはない。だが、彼女にしてみれば、そういった大きくない曲の全ての音に、自らにイメージ合ったコントロールができているのかが、とても大切だったのだろう。

確かに、彼女はショパンのエチュード「木枯らし」などを弾いても、本当にひとつひとつの音が完璧にまでコントロールされているかのような演奏であり、ピアノが鳴っている聴かせる。それは、これまでの練習に加えて、それらの小品を弾くことによってつくりあげられてきた、耳と指の密接なつががりだったのかもしれない。
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鍵盤を感じるような繊細で弱い弾き方から強力な打鍵で高速までのハノンと、バッハのインヴェンションとシンフォニアを打鍵が深いレガートでの歌い、そして高速で弾く練習をして彼女にとって、練習曲での問題は少なかったようだ。

彼女は「中学生の時はツェルニー40番から50番をやっていたけれど、ハノンとバッハのいろいろな見直しをするようになってからは、ツェルニーで困ることは少なかったと思う。ツェルニーをとても重視する先生だったけれど、指定テンポでは弾けていたしまとまっていたから、注意されることも余りなかったの」
と言っていた。
ただ、練習曲として続けているのだからと、彼女の自身でその日の課題のようなものを作ってツェルニーに取り組んだいたそうだ。
「ツェルニーをピアニシモで弾くなどは、よくやるでしょう?
そして、今日は5曲連続で弾くとか、7曲連続で弾くとかね。1曲をテンポで完璧に弾くことは簡単でも、連続するとミスも出てくるから結構いい練習になる気がして。それでもシンフォニアをテンポアップで完璧に弾くことに比べたら、それほど難しくはないでしょう?」
と言う。

確かにそれは当たっているように自分も感じた。指の動きがある一定のレヴェルに達した人にとって、しかも彼女ようにもともとある程度は動いていた指の動きを長期間かけて見直した人にとっては、ツェルニーの40番や50番を高速で弾くことは、それほど困難なことでもない。逆にそれができていても、インヴェンションやシンフォニアの出来が良くない人の方が多いように思う。
そして、彼女でも練習曲を連続で弾くと、さすがに体のどこかに力がわずかに入っていくような感じがするから、弾き終えた時にすることがあり、
「ピアノをね、何の意味もなくただ弾くこと。即興演奏のような和音の進行も何も考えないで、ただ手で鍵盤を何も考えないで弾いて、鳴る偶然の和音のような響きと、そこから感じる音と手の感触を楽しむような感じで・・・腕も指も力が抜けて最高にピアノがいい音を出してくれるような気がするし、今の感触で練習曲なども弾きたいと思えるから」
この即興演奏でもない本当に適当な演奏は、彼女が自分と同じく白髪爺さんに習っていた当時もやっていたので既に知っていたが、手の動きの徹底の中学生時代からの習慣だったようだ。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
そうしてハノンを弱く重力にまかせて弾くことを一定期間やった彼女は、「もうそろそろいいかな」と思ったので、徐々にテンポアップをしていった。もともと毎日のようにハノンは強く速く弾いていたので、久しぶりのテンポアップには問題は無かったが、以前と比べると「格段に楽になった」のが実感できたそうだ。

テンポアップの次は音を大きくしてハノンを。これも以前はがんばってやっていた感じがしていたのが、「楽にスピードでの強奏」でのハノンが弾けるようになったとのこと。そして、
「以前でもハノンのあの音型の繰り返しはテンポ108でも、120でも弾けていたけれど、『指を動かしている快感』みたいなものに満足して指を一応鍛えていたつもりだったけど、指の動きの感覚は鈍く、鳴っている音にも気を全く使えていなかったのかも」と言っていた。
また、ハノンの音型を遊び半分で2指から弾き始めるなどの工夫も面白いとのことだった。「そうすると弾きにくかったり、指が足りなくなるでしょう?だから素早い移動で補ったり、4や5の上から他の指が飛び越えたり。遊びみたいなものだけど、結構練習になるから面白いのね」ということらしい。

彼女はハノンの練習のやり方を改善している間に、他の曲集や練習曲の見直しも随時にしていった。彼女は、これまで不完全のまま曲が進んでいき不安に感じていたのはバッハだった。
既にインヴェンションの15曲は終えて3声に入っていたが、2声に戻ることにした。
だが、インヴェンションの曲のテーマやモチーフといったいわゆる「バッハ的」なことは、この練習では重視せずに、2声を2人がしっかりと歌い上げているような「打鍵が深くて絶対につながったレガート」で完璧に弾くことを意識し、耳と指のつながりが不明瞭にならないように細心の注意をしながら演奏。

それができたら、かなりのテンポアップをしてインヴェンションを演奏する(自分もこれは少し意外に思ったが)そうだ。彼女に言わせるとインヴェンションのテンポアップは中程度の練習曲よりも指の練習効果があり、時には一般に弾かれているよりも2倍以上のスピードで弾いていたらしい。もちろんそれくらい速くても「歌を失ってはいけない」と言うのだから、これは難しい。
15曲を終えたときには効果を実感できて自信もついたので、シンフォニア全曲でもやったという。
ピアノを幼い頃から弾いてきて、ある程度の専門的と言えそうなレヴェルでも、1000人に一人くらいしかしないと白髪爺さん教授も褒めていた「彼女の手」。
その彼女は意外にも、10代前半では周りの同期と比較すると飛びぬけたような存在ではなく、中学生くらいになると、同期には既にショパンやシューマンをたくさん弾いていたのに、「私はシューベルトの即興曲だったかな」とのことだったらしい。

しかし、彼女によると焦らないことが良かったそうだ。不完全の技術のままで無理だと思われる曲に手を出すよりも、現在を確実に弾くことを優先。
中学生時には、ハノン、ツェルニー40番、モーツァルトのソナタ、シューベルトの即興曲、バッハのインヴェンションとシンフォニア などを弾いていたそうだが、弾く練習曲などは新たに加えたり変更することなく、使用しているもので技術向上をするようにしたとのことで、まず見直したのはハノンだそうだ。

「やっているものを見直すと言っても、結構皆が一度はやるようなこと」と、彼女は言っていた。
ハノンについては、冒頭からのあの音型の連続を、彼女は一応指定速度くらいに弾けていたそうだが、手の感覚として確実に弾けているという実感が少なかったらしい。
そこで、遅いテンポで弾くことにしたのだが、しっかりと1本1本の指を弾くというよりは、重力で指が鍵盤に落ちるような感じで弾くようにして、指が鍵盤を弾いた時の感触を最も重視。当然とても弱く弾くことになり、音が出ないような場合もあるが、それはこの練習では気にしないということだった。
これをかなりの期間続けることによって、彼女が言うには「鍵盤を前にすると、『ピアノを弾く』とかまえてしまって、どこかに余計な力が入っていたのが、かなり改善された」とのことだった。
一応は大曲を弾けているような人でも、テクニック的には限界が近くて際どい演奏になっていたり、手の使い方に無理があって不意に大きな音がでてしまうなどのミスもあるものだが、彼女の演奏にはそれが本当に見当たらない。
それほど素晴らしい手を持っていることは、当時から一部の人の間ではうわさになったいて、シューマンやラヴェルを弾いていた彼女は、鍵盤を自在に的確に弾きこなし、繊細な箇所でも絶妙な指の使い方をしていた。

これはかなり以前の話で、自分が白髪の爺さん教授に習っていた頃だ。彼女も同じく白髪爺さんに習っていた一人だったが、音楽的センスとその手の素晴らしさは、爺さんにいつも嫌味を言われていた自分とは大違いであった。
自分は他人の演奏はあまり気にしないが、彼女の特に手の素晴らしさについては注目していたので、白髪爺さんに聞いてみたことがあった。
爺さんは、
「ああ、彼女の手は、本当に素晴らしい。どのくらい凄いかわかるかモリス。一応専門的なレヴェルで勉強しているような人はたくさんいても、あの手くらいの人は実に少ないな。音高や音大の学生、そして講師や教授陣などにいっぱいピアノ弾きはいるが、だいたい1000人に一人くらいだよ、彼女の手は」
と。そして、
「彼女はこれまでに冗談半分で、他のピアノ弾き何人もに言われたそうだよ『試験前だけでいいから、その手を貸して』とね。あの手がどれくらい素晴らしいのかは、ある程度の実力が高いやつなら、よくわかるだろうから」
と言っていた。
一生懸命に一応専門的にピアノを弾いてきたレヴェルの人達の中でも、1000人に一人くらいしか持っていないと白髪爺さんに言わせるくらいの「彼女の手」。
しかし、彼女と直接話していろいろと聞くと「私は子供の頃から不器用なタイプだったように思う」とのこと。教則本や練習曲なども周りの生徒と比較すると進み方はあまり速い方では無かったらしく、彼女も不器用を克服しようと工夫をしながら練習を積み重ねた結果、あの手を得ることができたのだろう。
次回は彼女の練習方法を少し公開。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
たくさんの曲を弾くようになると、好きな作曲家や得意な作曲家などが2、3人出来てきて、ある時期それら数人の作曲家の曲を集中して取り組む方も多いだろう。

特に統計をとったわけでもないが、女性ではショパンとドビュッシーという組み合わせで練習しているという方が、昔から多いように感じていた。
ショパンとドビュッシーの音楽につながりが濃いわけではないかもしれないが、どちらの作曲家も美しい音楽であり、ピアノ曲のレヴェルも中級くらいから難易度の高いものまでいろいろあり、組み合わせて練習するやりやすさのようなものはあるだろうか。

男性だと、ショパンも弾くが、一緒に練習するのはベートーベンという人も多いようにも思う。自分の生徒さんにも一時期、ショパンとベートーベンのセットがの人が多いことがあったが、大人の女性にこのパターンは多くない印象。

バッハ弾きというと、プロでは男性ピアニストという印象があるが、一般に趣味で弾く生徒さんの場合は、女性に人気の作曲家かもしれない。
シューマン好きは女性に少し多いだろうか。自分が知っている熱狂的なシューマン好きは全員女性だ。

もちろん性別だけでなく年齢によっても好みは異なるだろうし、個人によって大きく違いはあるだろうから、本当は傾向などないのかもしれないが。
小学生でも適正や希望に応じてソルフェージュをレッスンに取り入れている。
といっても、低学年でそれほどピアノ歴も長くない生徒さんなら、簡単な音あてクイズのようなものや、旋律聴音をやる程度で、あとはそれを声に出したりリズム聴音を加えるくらいだ。

だが、今週のレッスンで生徒さんが、
「音を一度に2個や3個でもいいよ。お父さんと聴く練習したから」と言ってきた。
この生徒さんの親はそれほど熱心な方だとは思っていなかったので少し意外だったが、試しに基本的な和音の聴き取りをやってみると、お父さんと練習してきたせいか、結構聴けていて驚いてしまった。

この生徒さんは半年前には音程はわかるが、無調旋律や和音聴音ではあまり聴き取れないことが多かったから、やはりこれくらいの年代だと、感覚的な成長が著しいので、少しの手助けだけでも大きな伸びがあるのだろう。
そして、お父さんは会社から帰ってくるのはいつもは深夜に近いとのことで、週に1回くらい一緒に聴き取りの練習や、ピアノを弾くのを聴いてもらったりしているらしい。
お父さんも急がしい中で、できる範囲のことをやっているのだろうが、親が子供の習い事への関心度といったことでは、だいたいちょうど良い感じなのかもしれない。
C先生が言う、良いピアニストや指導者、そうではない人というのは、半分は冗談のようなもので、C先生の独断と偏見のような単なる好みも含まれていた。
例えばショパンの演奏でも、リズム感の悪いワルツやポロネーズ弾くようなピアノストは全く好みでは無いらしく、酷評されていたのが印象的で、当然そういった演奏のピアニストを評価するようなピアノ指導者もダメといった感じであり、ある意味わかりやすい話だったかもしれない。

だが、まじめな話もあった。例えば技術的ことに関しては深い知識を持っていた方であり、例にだすピアニストの話でも、
「演奏のスタイルは別として、テクニックが今のモリスくんに参考になるのは、あの人やあの人ね」
などと教えてくださり、また、
「日本では少し有名な、あの人は知っている?弾けてはいるけど、ガツガツとしていて全く参考にならないから一応教えておきますよ」
といった感じだった。

これは当たっているように思う。C先生が参考にならない言っていたピアニストの方の演奏を見た(聴いた)のは、それからかなり後だったが、確かに技術は今の時代では通用しないものだった。
でも、このピアニストの方、今でも音楽雑誌などにのっていることもあるけど・・・。
もうかなり昔のことだが、自分が習っていたピアノ指導者C先生が「良い先生とは~」という話をしたくれたことがあった。
そのC先生はとても親切丁寧な方であり、レッスン内容も自分は気に入っていたが、この時の話のきっかけとしては、
「この先、私以外の指導者に習うことがもちろんあり、そして私よりもレヴェルの高い大先生のような人にも習うと思うけど、そうした時でも良い先生なのかは、こういった点に注目してみると・・・」
といった内容の話だったと思う。

その内容は半分冗談のようなものも含まれていて、例えば、
「○○○というピアニストがいるでしょう?あの演奏が良いとか好きとか言っていたら、おそらくちょっとね」
などという話もあったくらいで、他にも笑ってしまうような見分け方の話がいくつもあった。

だが、そういった冗談も含まれていたC先生の話も、今考えてみると結構考えられた話だったのかもしれないとも思っている。
自分のレッスンでは、生徒さんがどんな楽譜を持ってきても基本的にはOKとしている。以前にも書いたが、自分が所持している書き込みがたくさん入っている楽譜を見比べてレッスンをするので、不合理な指使いや校訂者のおかしなスラーが入っているような出版者の楽譜を生徒さんが使っていても、ほとんどの場合は問題ない。最近も、電子ピアノに付属していた曲集にショパンのノクターン9-2が載っていたということで、その楽譜でレッスンしている生徒さんもいる。

しかし、あまり良くない楽譜を使っている生徒さんには一応の説明はする。それはその楽譜を買い換えろということではなく、「もし、次に違う曲で楽譜を買う機会には、その版は避けたほうが無難だよ」ということだ。

例えばショパンやバッハなどの人気作曲家は、かなりの数の楽譜が出版されているので選択肢も多いが、現実には1曲につき1冊しか買わないのが普通なので、選択は結構難しいものだ。バッハ平均律の曲集を生徒さんが買う時もやはり1種類だから、どこかの原典版ということになるだろうか。
ムジェリーニ版などは研究としては古いとわかっていても、結構使いやすいので自分は参考になると思うが、1冊を選ぶならおすすめはあまりできないし、最近はあまり人気は無さそうだ。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
ピアノを長年弾いていると「有名なのに以外にも弾かなかった曲」のような分野が出来上がってしまうことはあるだろう。「エリーゼのために」や「乙女の祈り」、ランゲ「花の歌」などは誰でも弾いていると思っていると、そうでもないこともある。

自分もその曲くらいのレヴェルの時に、機会が合わずに弾かなかった有名曲たちがあるが、その一つが最近弾きたいといってくる生徒さんも多い、ショパンの「ノクターン 9-2」。
いや、ノクターンは9-2だけではなく、1曲を弾いてからは、しばらくは全く弾く機会が無かった。9-2を初見のような感覚ではなくきちんと弾いたのは、教えることになるなら有名曲をたくさん弾いておこうと集中的に練習した時だった。

ある程度の年数を積み上げたピアノ学習者がショパンを弾く段階になると、どうしてもプレリュードやエチュード、そしてマズルカとポロネーズが重視されがちで、他はあまり弾かない人もいる。
だが、上達に必要な曲ばかりに目を向けてしまい、ノクターンやワルツやマズルカといった作品にも魅力的な作品を弾かないで通り過ぎてしまうことは、少しもったいない。
指使いの番号というのは、作曲者が書いたものではなくても、少しは書いてあった方が一般的には弾きやすいと思う。譜読みしていても指番号に反応してスムーズに弾けることもあり、何も書かれていないと譜読みをしていても、意外に簡単な箇所で迷ったりしてしまうこともある。

だが、書かれている指使いがあまりに非合理的だったり、自分の好みに合っていないと、譜読みをしていても、その指使い番号が邪魔になることも。昔から日本ではよく使われていたあの日本の楽譜は、ベートーベンもバッハもシューベルトも、どうも指使いがよくないように思う(指使いだけでなく、多くの面でよくないようにも)。

そして、ピアノを長年弾いている人は、おそらく自身の好きな指使いのクセのようなものがあるだろう。曲の特定の箇所によっては「この指使いしかありえない!」と思って弾く場面もあるはず。
ところが、一度は固まったようなそのクセも、また次第に薄くなって異なる指使いに好きになったりすることもあるから、指使いを探求するのは結構楽しい作業でもある。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
ピアノの指導者ということではなく、仕事上でピアノが必要になる人といったら保育士や幼稚園教諭ということになるだろうか。
自分も現在、保育士を将来目指している人のレッスンをしている。まだかなり先のことなので、現場でもすぐに使えるような実践的なピアノを、そしてそれが仕事上で余裕で使えるように、今のうちにたくさんのことを勉強して欲しいと思っている。

保育園や幼稚園などで必要な実践的なこととは、いったいどんなことなのか。内容は各園によって異なるだろうが、保育士の知り合いが教えてくれたところによると、その園では園児が歌うためのピアノ伴奏などのほか、テレビアニメの主題歌などを簡単に編曲したものを、園児皆で歌うなども取り入れているという。

そうなってくると、保育士を目指している自分の生徒さんが必要になるピアノ関連の技術というのは、モーツァルトを軽やかな流れで弾けたり、リストを迫力満点で演奏することではないだろう。
やはり、歌のメロディーにはすぐにコードをつけて簡単な伴奏ができたり、ある程度の初見演奏ができたり、耳コピーですぐにアニメソングの簡易編曲版を弾けたり、園児が歌いやすいように移調奏ができたり、といったことが役に立ちそうなので、その生徒さんのレッスンの半分くらいの時間はそのようなことに使っている。
これらのことを身に付けても、実際の現場では使わない可能性も大いにある。だが、以前に幼稚園教諭がピアノの短期のレッスンに来たことがあり、少しレベルアップが結構役立ったと言ってくれた。
やはり、多くを勉強しておいてムダではないだろうし、実際に働いて忙しい時ほど余裕のある能力は重宝するのだろう。
ピアノ指導をしている人なら、こういった質問を受けることは一度や二度ではないだろう。
「どういった人(子供)が、うまくなるタイプですか?」
というもの。

前にも書いたかもしれないが、自分は「こういう感じの人が、上達スピードが安定していて上昇気流が長続きするような」という法則は、特にないと思っている。
もちろん、音感が無いよりある方が、理解力のある子供方が、親が熱心が子供の方が、最初の上達スピードは少し速いようには思う。
だが、そういったことが仮に有利だとしても、有利期間はそう長くも無い場合も多く、あまり関係はないだろう。

言えるとしたら、最低限度の良い指導者につくこと。
あとはひとりできちんとピアノを弾く時間を確保して練習できるか、ということだろうか。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
ストレスを発散させるというわけでもないが、時々ピアノを本当に底から鳴らすような曲を弾きたいと、多くの方が思うことではないだろうか。
別に何を弾いても一応はピアノを大きな音で鳴らすことは出来るが、それではあまり面白みもないから、できればそれくらいの「鳴り」を要求されているような曲を弾きたいところだ。

自分はその「鳴り」の気分で時々弾く定番曲は、おなじみのプロコフィエフの組曲「ロミオをジュリエット」。その10曲の中から、もちろん最も有名な第6曲の「モンターギュ家とキャピュレット家」は気に入っていて、鳴らして弾ける曲なのでよく弾くが、第1曲の「民衆の踊り」もなかなか楽しめる曲。

「民衆の踊り」は、音楽的には特に中身が濃いというような感じではなく、軽快に進むのが特徴の曲。ところどころの和音は指が届くのが微妙な箇所もあり、聴いた感じよりも弾いてみると意外にも難しい箇所もあるが、難曲というほどではなく譜読みもしやすい。
そして、最後の4小節が一番好きなところだ。ピアノ2つで終わりそうなのに、急にフォルテが2つで締めくくり。この最後のために曲を弾いたのだという爽快感があるので、プロコフィエフをお好きな方もそうでも無い方も一度弾いてみては?
「あのピアニストが好き」とか「あの演奏はあまり好きではない」という話は、誰でもよくすると思う。
自分もいろいろな曲を弾く前から、音楽はたくさん聴いていたので、作曲家や演奏家の好みも、子供の頃から少しずつできあがっていったのだろう。

しかし、実際にピアノ曲をたくさん弾けるようになると、曲への考え方や理想なども新たにできあがってくるので、演奏の好みも変わっていくものだと思う。
聴いているだけの時好きだった演奏も、自分も弾けるようになると印象が変わって聴こえてくることもあり、いつまでも好きでいられるとは限らない。
所持しているベートーベンのピアノソナタやショパン名曲選集のような録音でも、今では全く聴きたいと思わないものもある。
「なんでこんな演奏を、昔は気に入っていたのだろう」と、不思議に思うことも。
やはり、弾くと見えてくるものがいろいろとあるからだろうか。
ちなみに、もう聴かないだろうと思うCDなどは、生徒さんに差し上げるなどして、できるだけ有効活用しているつもりではある。
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ジャンル:音楽
自分は一度弾くと決めた曲を、仕上がり前にやめたくなるということはほとんどないが、何か迷いのようなものがあったり、どうしても感覚としてつかみきれないような気がして、仕上がりがあまり良くならなかった曲はいくつかある。

そのひとつが、ドビュッシーの「ダンス~舞曲(スティリー風タランテラ)」。10代のある時期、この曲を当時の指導者に薦められて弾くことになったが、1週間ほど弾いても何かよくわからないような状態だった。
技術的には特に難しいというところもないので、1ヶ月ほどして一応表面上の演奏としては仕上がりつつあったが、それでもよくわからないような状態で弾いていることに、かわりはなかった。

そういった自分の様子を、当時の指導者も感じたのだろうか、
「モリスくん、この曲はあまり好きじゃないみたいだね。だいたい弾けているし、もう終わりにして違う曲にするかい?」と言われてしまった。
当然その瞬間にダンスは終了とし、次の曲として同じドビュッシーでも弾きたかった「グラナダの夕暮れ」にしたことは、今でもはっきりと覚えている。

自分は現在は逆に指導者の立場だが、生徒さんが弾いている曲をあまり好きではなさそうな時は、やはり気になるもの。特に生徒さん自らの選曲なのに、弾いてみたら思うように進まないこともある。
中途半端な段階で弾くのをやめて次の曲に移行するのもどうかと思うし、だからといって長期間弾かせるのも考えてしまうが、状況によっては一応弾けたなら次へ進むことも時には必要ではありそうだ。
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昨日のレッスン。「おそらくあまり弾いてこないだろうな」とは思っていたが、案の定中学生のEさんは弾いてこなかったようだ。聞くと「年末年始はピアノには触らなかったので・・・」と、少しは気まずそうに、でも正直に答えてしまうところがEさんらしい。

Eさんは、いつも練習しないタイプというわけでもなく、練習してくる週と、してこない週の差が結構あるのが特徴だろうか。
しかも練習してくるか、してこないかの法則(?)というのが意外に単純明快で、学校行事や年末年始、クリスマスなどの大きな節目とピタリと当たっているから、自分としても予想はしやすい。

だから事前にEさんのための対策は準備しておいた。
年末最終のレッスンから進歩していない2つの曲は、それぞれ2回ほど弾いてもらって課題の箇所を指摘しても時間は残るので、その後は簡単な移調演奏の練習。Eさんは得意というほどでもないが、それほど嫌いでもなさそうでしっかりと取り組んでくれる。
それから、簡単な曲集を使っての初見演奏。これもEさんはとても得意ということもないが、以前に比べるとかなりできるようになったきた印象だ。

最後の5分は、聴音もどき。譜面に書く時間もないので、自分が弾いたことと同じことを、となりで弾いてもらう。今回は自分があらかじめつくっておいた、不規則で何のつながりもないメロディーを課題曲にしてみたが、これはEさんが結構好きな分野。ミスもあったが、集中して取り組んでくれたので、きちんと5分で終了できた。
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前回の続きもので「ほとんどの生徒さんに、ベートーベンのピアノソナタ11番の1楽章を弾かせる」という、知人のピアノ指導者のお話に対して。
自分は「全く賛成というわけでもない」と書いたが、彼女の指導方法などに悪いところがあるというわけでもない。むしろ、そういったしっかりとした技術をツェルニーとベートーベンのソナタで身に付けることは、後からの伸びが良い場合も多い。

だが、自分は中級レベルの人でも、古典系に加えてロマン派も近代作品も弾いた方が、より多様な音楽性と技術が身につくように思うから、一定期間にツェルニーとベートーベンを徹底して勉強するよりも、そこに他の時代の作品も加えて一緒に練習した方が、効果的にように思う。

例えば、今ではツェルニー50番の次にショパンの練習曲へと進む人はあまりいないだろう。それでも無理ではないが、やはり譜読みがしやすくて古典テクニックのツェルニーから、技巧の質も異なるショパンへは、スムーズな進行とは言えない。
ショパンを弾くことを前提につくられている、モシェレスかモシュコフスキー15番をある程度弾いてから、ショパンの練習曲へと進む方が効果的なことは、多くの人が実感していることだと思うし、専門レベルの人ほど必要になってくる。

しかし、そんなに練習曲ばかりを弾いている時間もないのが普通かもしれない。
自分は、ツェルニー40番の中ほどから、モシェレスとモシュコフスキー15番から適宜抜粋して生徒さんに弾いてもらう方法をとってもらっているが、これが現実的なところだろうか。
前回の続きで「ほとんどの生徒さんに、ベートーベンのピアノソナタ11番の1楽章を弾かせる」という、知人のピアノ指導者のお話。

彼女は「一応シューマンとかショパンとか一応弾けている人でもね、意外とこのベートーベンの11番ソナタくらいが弾けないもの。それでも良いのならいいかもしれないけど、基本技巧が弱い証拠だからもっと上には行けない」と断言する。

また、「せっかくツェルニーのような練習曲を熱心にやっていても、ツェルニーで学んだことを全く曲に生かせていない人が本当に多い。そういった人のためにも、ベートーベンのソナタをしっかりと勉強することは必要で、シューマンやショパンにもつながっていく」と言う。

自分はその考えに全く賛成というわけでもないが、ツェルニーとベートーベンを生徒さん全員にしっかりと弾かせている彼女が言うことは説得力があるような気はする。
趣味で楽しいピアノなら良いとされても、もう少し先のレベルを目指そうと思ったら、基本的なテクニックの充実は避けられない。そういう意味では、ベートーベンのピアノソナタはピアノ技術が音楽にしっかりと組み込まれた曲が多く、ピアノを少しでも専門的にやろうとすると、必須にはなってくるだろう。

しかし、「悲愴」、「月光」、「テンペスト」や「熱情」といった有名曲なら聴くのも弾くのも良いが、初中級者では簡単には弾けないから、やはりもう少し弾きやすいソナタということになる。
その時の選曲は大事になりそうではある。自分もかつては、あまり気がのらない状態でいくつかのソナタを弾いた思い出もあるので。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
「私はほとんどの生徒さんに、ベートーベンのピアノソナタ11番の1楽章を弾かせますね」と、自分の知人のピアノ指導者は言う。彼女は初心者や初級者を教えることがほとんどなく、習いに来る生徒さんも多くはまずまずの実力を持っているのだが、基本的な手や指の動きの技術を、どれくらいのレベルで備えているかを見極めるのに、ベートーベンの11番ソナタを使うことが多いという話。

自分も高校生くらいの時に、似たような考えの指導者についたいたことがあり、やはりベートーベンの11番を弾かされた。
弾かされたという印象が残っているのは、当時はこの11番を弾いていて、曲想が素敵とか面白いといったものでもなく、ベートーベンのピアノソナタも既に10曲以上は弾いていたので、「何で今11番なんだ?」という思いが、自分の中にはあったのだろう。

だが、11番で基本テクニックの出来を確認するというのは、結構当たっているようには思う。確かに11番の1楽章は、曲のほとんどが音階や分散和音などのピアノの必須技巧から成り立っていて、これ1曲を弾いてもらえば、ツェルニーなどの古典的練習曲を数曲弾いてもらわなくても、その人の基本テクニックの程度がわかりやすい。
もし、ピアノ指導者に「次の曲はベートーベンのピアノソナタ11番はいかが?」と言われたら、基本的なピアノテクニックの確認(?)なのかもしれない。
昨日土曜のレッスンの生徒さんは、年末年始も普段どおりの仕事をしながら、合間にピアノも結構弾いていたようで、年初めなのに予想どおり、かなり仕上がりに近い演奏を披露してくれた。現在中心に練習している持ち曲も、あと1回か2回で仕上がりとなりそうだ。

そこで、自分もこの生徒さんに次の候補曲をいくつか提示してみた。ショパンのノクターンやワルツから、それほど難しくもないものを数曲弾いてみせ、あとはドビュッシーの2つのアラベスク1番なども含めて数曲など。

候補曲といっても、この生徒さんは既に楽譜を所持していて曲もある程度知っていて、以前から弾きたい曲に入っているものばかり。それを一応弾いてみせるのは、実際に弾いているのを見聴きしてもらって、どの曲が「いけそう」なのか「まだ無理そう」なのかを、生徒さんご本人に決めていだたくためもある。

この生徒さんにとっては、どれも弾けるとは思うのだが、単に「これは弾けるよ」と言っても、難易度に関して少し抵抗感の強い方なので、弾いているのを見せると「この曲なら、やれそうな気がしてきました~」となることもあり、このような選曲方法が最近は続いている。
本当はこれくらいの難易度の曲の時期は、弾ける曲が無数にどんどん増える時期でもあるから、抵抗感なく弾きたい曲には挑戦して欲しいのだが。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
今年最初の1週間のレッスンを、通常どおりかお休みするのかは基本的に生徒さんに判断をお任せしている。自分としては一応3日から平常どおりにしているつもりだが、来週からという方も多く時間が空くこともあり、自分はなかなかペースにはのれない感じもする。

今週レッスンにくる生徒さんは、意外なほど皆練習をしっかりとしてきているようだ。年末に言っていたような「お正月にすることも無いので、ピアノをたくさん弾きます~」というのは、本当のようす。
確かに初詣などは何度も行く人は、そう多くはないだろし、学生さんなどで冬休みでも実家に帰らない人もいるから、練習時間もあるのだろうか。

今日これからくる生徒さんはお正月にも普通に仕事があると言っていたから、それこそ通常の練習ペースなのかもしれない。課題のショパンと、簡単な歌に伴奏付けの練習を、やってくるだろうか。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
自分が見なかったが、年末恒例の某国営放送の歌物で、歌詞を途中で忘れた歌手がいたそうだ。それ自体はめずらしいことでもないだろうけど、歌手は楽譜を見ないことが多いから、歌詞を思い出せないと、かなり動揺するだろう。
ピアノもステージ上では、あまり楽譜を見ないで暗譜が主流。それでも、昨年は堂々と楽譜を見ながら弾くピアニストの演奏会を続けて聴くこともあり、暗譜主義も変わってきているのかもしれないと、少し感じた。

ひとりは日本人のベテランピアニスト。かなり人気のある有名な方だが、楽譜を見ながら弾くとは知らなかったから、少し驚いた。
もうひとりはイギリス人の、こちらも有名なピアニスト。協奏曲だったが、楽譜を見ながら弾いていた。譜めくりも自身でしていて少し忙しそうな(?)感じはした。

暗譜をしないで演奏するというのは、じわじわと広がっているのだろうか。演奏が良ければ、楽譜ありでも良いと言われれば、それもそうだろうが。
昨日書いたように、自分の新年のピアノはラヴェルとドビュッシーの比較的短めの曲を弾いて始まったのだが、ある方に「ラヴェルのピアノ曲は、新年というよりも冬という季節に合っているように感じますね」と言われたことがあった。

自分はその方に言われてみるまで、ラヴェルのピアノ曲が冬に合っているという印象を特段感じていたわけでもないが、言われてみると外れていもいないような感じもする。「水の戯れ」や曲集「鏡」といった曲もあるし、透き通ったようなイメージ、もっと言うとクールな印象があるので、氷とか水とかが連想される冬に合っているのだろうか。

それに、ラヴェルのピアノ作品に漂うイメージを、よく「冷たいような印象」といった言い方はされる。これも少しは当たっているようで、確かに曲によっては硬質なような響きで冷たい印象がするし、冷徹とまではいかなくても、弾きかたによってはそれに近い印象にもなるだろうし、弾いていてもそのような空気を感じることはある。

でも、「亡き王女のためのパヴァーヌ」などの有名曲だと、それほど冷たいような感じもしないと思うがどうなのだろう。この曲でもとても暖かな感じではないかもしれないが。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
今年の新年の弾き始めは、某集まりでの2曲の演奏ということになった。
1曲は以前にも書いたように、ラヴェル「ボロディン風に」に決めていたので、まずこれを。そして、もう1曲は決めたようで迷ってもいたが、音楽好きならピアノを弾かない人たちでも知っているか、または興味を持っていただけるかと思い、ドビュッシーの2つのアラベスクの2番にしてみた。

どちらも既に数え切れない回数弾いている曲でもあり、自分では得意レパートリーにしている(つもり)なので忘れるようなことはないが、少人数の集まりで聴き手が近くにいるという状況は、ちょっと弾くだけといっても、やはり緊張感はある。しかも、事前にもっと確認練習をしておくはずだったが、諸事情によりほとんど弾く時間をとれなかった。

それでも弾き始めると、「聴かれている」という空間状況というのは、演奏にも良い影響がある場合もあり、自分が想像していたバランスの和音とは微妙に異なった音響でピアノが鳴ったとしても、それに応じて演奏をしていくような楽しみも味わうことは出来たので、まずまずといった感じだった。

2007年がはじまったが、今年最初には何を弾きましたか?ピアノを楽しく弾いて、良い年にしていきましょう。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
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