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自分もそして生徒さんも使う空間というものは、普段からできるだけ整理しておきたいとは思っているが、どうしても物は少しずつ増えていく。
楽譜や本などは増える一方だし、CDなども衝動買いはしないようにしているが、それでもやはり増えていく。

だから年に数回は少し大きめの整理整頓をするように心がけている。そして今月はそれを実施した。今回は見栄えのしない置物や雑誌など、不要なものは思い切って結構捨てた。

それでもいつも残ってしまい捨てられないものは多くある。例えば、もうほとんど永久に聴かないようなLPレコード。特に全集物が場所をとるし重たいので困りものだが、なかなか捨てるわけにもいかずにかなりの量が残っている。いずれは何らかの形で処分することになるのだろうか。

ちなみに服などの整理は自分にとっては簡単なことだ。基本的にこの1年で一度も着なかった服は全て捨てているから、着るものしか残らない。
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先週のこと「突然転勤が決まってしまって」という生徒さんのお母さん。引越の準備で忙しいらしく、ダンボールに急いで荷物を整理している最中らしい。
生徒さんも「パパは転勤どうなのだろう」と、今年になってから言っていたのだが、本当にそうなってしまった。

最近ピアノを弾くことが楽しくなってきて、良いペースになってきただけに、新天地でも学校に早く慣れてピアノを続けて欲しいと思う。
生徒さんのお母さんにも「もし、引越先の町にピアノの先生がいれば、紹介して欲しいのですが・・・」
と言われたのだが、聞いてみても引越先はあまり耳慣れない町の名前で、すぐには近くの知人が思い浮かばない。
その場では即答できなかったので、「その町ではなく、少し離れた大きな街まで習いにいけるなら、何人か思い当たる指導者はいますよ。それでも、一応その町と近くでも探しておきますね」
と答えておいた。

この生徒さんは非常に活発なタイプだし、転勤はこれまでも何度も経験しているので、転校先でもすぐに友達もできるだろうと思う。
ただ、ピアノのレッスンは個人と個人の、そしてこの生徒さんにとっては大人との対話だから、学校のクラス友達との付き合いとは、また違うものでもある。
自分が紹介や探し当てたピアノ指導者に習うとはまだ決まっていないが、ピアノが好きで続けてくれることが一番。
転勤が多いから、また将来はレッスンする機会があるかもしれない。
練習曲というのは、それくらいのペースのレッスンだということが定着すると、レッスンでは主に動きの確認をする。

テンポで弾けているようでも、どこかに無理がありそうな弾きかたの場合もあるので、そういったところを細かくみていくことになる。
例えばアルペジオが連続するようなところだと、動きの意識を生徒さんに確認することはよくある。
「このような方向の動きを意識しているのですが、少し弾きやすくないような気がして・・」
と、ある時生徒さんが言っていたが、意識していると言う動きの方向は、あまり良くないようだった。
「その意識している方向というのは、全く逆じゃないかな。このアルペジオの連続は、反対方向に意識した方が、かえってスムーズだよ」
と指示してみると、
「本当ですね。気がつきませんでした」
という感じになることも。

このような手の動きによって弾きやすさにつながり、音もしっかりとコントロールできるようになることが、練習曲での普段のレッスンであり目標だと思う。
ツェルニーのように譜読みは楽でも、表示テンポで弾くには相当弾く必要がある練習曲は、そこまで十分に弾けことができずに進んでいってしまう人も多いかもしれない。

自分のレッスンでは、ツェルニーのようなものをやるという生徒さんには、ある程度は徹底が必要だと伝える。表示テンポくらいで弾けることは前提でのレッスンなので、それに到達することがかなり難しい生徒さんには、もう少し前の準備が必要であり、練習曲を望まない生徒さんには取り入れていない。

そういうとツェルニーをやることは少し高いハードルのように感じるかもしれないが、そうでもない。練習曲というのはそういうものという認識が指導側にも生徒さんにも必要だろうとおもうし、レッスンでペースにのれるのかということでもある。

表示のテンポでどんどん弾いていけるペースが生徒さんにできると、練習曲は毎週2曲で1曲は譜読み段階で1曲は仕上げというペースが、きちんとできあがってくる。
もちろん練習曲の難易度が高くなると、そのようなペースは維持するのが難しい。それでもそういった練習の習慣が一度できた生徒さんは、実力をかなり蓄えているので、難易度が上がってもペースダウンはそれほどしない印象だ。
自分のところの生徒さんで、明らかに自分のレッスンピアノよりも高価なピアノを所持しているという人は2人。どちらの方も子供の頃も少しは弾いていたけれど、本格的にレッスンに通うようになったのは大人になってからで、「どうせやるなら」と買った2人だ。

そのうちの1人は50代の主婦の方で、かなり高価なあのピアノを購入したのが3年前。
以前に、「ピアノは意外に一生ものでもない」と書いたが、現実的には一生ものに近いだろうか。
1日にかなり弾いているようだが、それでも3時間ということもないようだし、おそらくかなり持つだろうと思う。

ただ、その方は「モリスさんのところのピアノのほうが、弾きやすいし、音もいいようにいつも思うのです。でも、私のピアノのほうが高いのですよね・・・」
と言っているが、なぜだろうか。

これは単純に比較できない。調律の頻度、ピアノが弾かれる時間の長さも違う。生徒さん宅のピアノはほとんどひとりにしか弾かれないが、自分のレッスンピアノは多くの人が弾くことも、ピアノ自体に影響を与えるだろう。
でも、一番の違いは「レッスンのピアノだから良い音のはず」という思い込みが、生徒さんのどこかにあるのかもしれない。
自分は現代の人間としてはおそらく、体重は少なく、体は大きくない方(小さいです、おそらく)に入るだろう。
最近では中学生でも自分よりも体格が良い生徒さんのほうが多いし、手も大きい。

だが、体が大きくしっかりとしていて、手も楽に10度以上届く人が、ピアノをしっかりと鳴らせるという単純な話にはならない。広くもないピアノ部屋の隅々まで音を響かすことができない生徒さんも、残念ながら少しはいる。

電子ピアノが普及してきて、普段の練習は電子ピアノが多い、またはほとんど電子ピアノしか弾いたことが無いという人もいるから、そういったことも少し関係しているだろうか。
特に大人で電子ピアノでの独学期間が長い人にそういう傾向があることは何度か述べてきたが、手も大きいのにもったいないな、と思ってしまう。

そんな時、自分は革命とか喜びの島などの華やかなところを適当に弾いて、「こんな感じで、まず鳴らしてみてください」と言ってみると、大人の方、特に男性は驚くようだ。
それは、「この指導者、こんな小さくて体重が50キロくらいなのに、パワフルな音だな」ということだろうか。
ピアノを知っている人が聴けば、自分の演奏は音量だけで言うと標準的な感じで、それほどパワフルでもないのだが。
自分が指導している生徒さんにも、ピアノを全くと言っていいほど弾かない期間が5年や10年、なかには15年以上という方もいて、久しぶりに再開してみると、やはり以前のようには弾けないと言う。

確かに5年以上も全く弾かない期間があると、毎日のように弾いていた時と、いきなり同じように弾くことは難しい。少し難易度を下げてやっていくしかないが・・・。

だが、「昔はこんな曲すぐに弾けたのに・・・」とは言う人は多いが、本当にそうだろうかとは思う。
ブランクが長い人の中には、過去の自身の演奏を無意識のうちに過大評価してしまっていて、「昔は弾けたはず」という意識が強すぎて、現状の弾けないことに対して、必要以上のあせりを感じていることもありそうだ。

それに、良い練習と質の良い指導があれば、ブランクがたとえ10年あったとしても、かなりの短期間で弾けるようになる人もいる。
もちろん、1年くらいではうめられないブランクというのもあるが、「過去の演奏を取り戻す」と思うよりも、「現状をさらに良くしていこう」と思う方がいいのではないだろうか。
自分は生徒さんにはそのように言ってみているが。
次の生徒さんが来るまで、まだ少し時間がある場合は、合間に自分のための練習や曲を探すように譜読み、テレビやCDなどの録音を聞いて、生徒さん用にアレンジ譜を考えたりなどもする。

先日、CDを聴いてピアノで何度か弾いていると、予定時間よりもかなり早く次の生徒さんが来て、
「今弾いていた曲は誰の曲ですか?あっ、待ってください。当てますから・・・プロコフィエフじゃないですよね、もっと現代のようにも・・・」
などと考えている。
そして、
「ちょっとわからないです。私が知らない作曲家なのかも」
と言った。

「作曲した人の名前は、おそらく知らない人だと思うよ。自分も知らない人だから」
と、生徒さんにCDを見せた。
これは、他の生徒さんに弾きたいからと、CDからピアノ用の楽譜にして欲しいと頼まれた曲のCDで、何かのゲームのサウンドトラックのようだ。

序盤は不協和音を目立たすような迫力のある和音の連続から、すぐにアルペジオが駆け巡るのような曲になっていて、結構面白い。ピアノだけで演奏しようとすると、なかなか本格的な曲になりそうだ。

音は全て過不足なく聞き取れても、あとは、どれだけピアノで弾いて効果的に、そして生徒さんの技量と同等か少し上くらいにアレンジするかが難しいところ。
CDの持ち主である生徒さんも、メロディーなどのわかるところは弾いてみて楽譜にしてあるようなので、レッスンで考えて弾きながらアレンジをつくるのも楽しい作業でもある。
今月は年度末で仕事などが忙しい方もいて、学校には春休みもあり、週1回のペースでレッスンに通ってくる方でも、休む人が他の月より少し多いだろうか。

定期的に週に1回のレッスンだと、だいたい月に4回のレッスン。
だが、今月は木か金か土曜日がレッスンの方は毎週来ると5回のレッスンになる。
自分は5週目でも休みにはしていないし、祝日も普段どおりやっている。1週空くとペースが崩れる人もいるし、月額で支払ってくれる生徒さんには、その方が良いだろう。また、1回休んでも、5週目があれば月に4回のレッスンは確保できる。

逆に月に1回休んで、レッスンが3回なのに月額でいただくのも、自分は少々落ち着かない。できるだけ振り替えレッスンを組み込むようにしているが、なかにはどうしても3回になってしまう生徒さんもいる。

それはそれで仕方ないが、月額でいただく生徒さんには、できるだけ来ていただきたいというのは、こういったピアノのようなレッスンをしている指導者の、多くが思っているところだろう。

来月からレッスンがはじまる生徒さんなどの打ち合わせもあったりと、週末は少しやることが多かった。やはり年度の初めからピアノをはじめたり、違う指導者へ移るということは多いのだろうか。特に子供の場合は節目としてわかりやすいのかもしれない。

ところで、「子供の指導で気をつけていることはありますか?」なんてよくあるような質問は、年中誰かに聞かれることが多い。
そんな抽象的な質問だと、答える側としても抽象的は返答になってしますが、簡単に答えるなら
「指導しずぎない」というのも、ひとつの指導のポイントだろうか。

たくさん細かいことも指導して、表面的には整った演奏をさせることが、ピアノ指導の目的ならばそれもいいだろうが、それでは後から伸びてこないようにも思える。細かい徹底指導よりも、子供時代には耳や脳や体や指などがつながっていくような、音楽の感性の伸びをサポートしたい。

だから、「よく考える」ようなことも良いが、それよりも「感じる」こと。「個々の聴音力」よりも「音楽全体を耳がとらえる」ことに重点を置くようなレッスンを、自分はこころがけているつもりだ。
白髪爺さんが言うように「子供なんて、ただ弾かせていればいいんだよ」というのも、ある意味当たっているのだろう。
昨日は久しぶりに2台のピアノで弾く曲を、生徒さんと演奏しながらのレッスン。

と言っても、2台のピアノのための本格的な曲ではなく、ポップス系の編曲物。
それでも呼吸のタイミングで合わせることなど、普段の独奏とは違った楽しみが味わえるし、勉強にもなるだろう。

特に「2人で合わせよう」という意識が、かえってテンポ感が乱れたりと、合わなくなるのが面白い。事前に曲のポイントになる箇所については話し合いをしていても、レッスン1回目ではまだまだ「2台ピアノの四手の演奏」という域にはほど遠い感じだった。

生徒さんの方が最後まで譜読みもしていないから、曲の仕上がりは来月になりそうな感じだが、自分もしっかり練習しておかないといけないから、ある種の緊張感もある。
ひとりで弾いて余裕の状態の演奏でないと、やはり2台ピアノは簡単ではないと、最近また実感している。
学校によってかなり違いはあるのだろうが、学生さんでこの時期長い春休みという人も多いだろう。
大学生なども学校の定期的なレッスンがないと、ピアノを弾いていても調子が落ちてしまう場合もあるから、夏や春などの長期の休みには、先生宅の自宅レッスンに通われるという人も多いだろう。

そこで困るのがレッスン代。教授たちの個人的な自宅レッスンは、学校の授業に含まれないので、レッスン代を持っていくことになる。1回いくらがいいのかは、明確に言う先生もいるし、中には何も言わない人もいる。

何も言わないというのは、残念ながら相当高い場合も多い。自分も昔、白髪爺さん教授に習っていたときの1回の自宅レッスン代は・・・皆さんの想像におまかせするとするが、やはり安くは無かった。

安くはないし、せっかくの休みに行ってもどうせ喧嘩半分のようなレッスンになるのだから、夏や春休みの白髪爺さん宅レッスンには、それほど積極的には行かなかったが、ある時の春休み前、
「モリス、この曲もこの曲もは仕上がりに遠いぞ、春休みは2回くらい来いよ」
となどと言われてしまい困ってしまったが、
「いや決めないと来ないから、この日とこの日だ。学校の補講にしてやる」
とも言う。

「補講にしてやる」ということは、自宅レッスン代を払わなくていいという意味だが「してやる」という言い方がまた気に入らなかった。
それに、金銭的には助かったわけだが、同じく白髪爺さんに習っている生徒に、
「やっぱり高いよね、白髪爺さんの自宅レッスン。モリス君なら時間長いから、○○○くらい払っているの?」
と聞かれた時には、返答に苦労した。

昨日はホワイトデーでした。
自分は以前はそういったイベントものは苦手だったのだが、バレンタインデーや誕生日に生徒さんからいただくこともあるので、最近は少しプレゼントなどを用意するようにしている。

と言っても、どこにでもあるホワイトデーコーナーで売られているものを買ってきて、それに安いピース版楽譜などをプラスして生徒さん達に差し上げる程度。高価すぎるものを渡して、生徒さんをかえって困らせてもいけないだろうから、この程度かなと思っている。

そういったイベントものをやってからといって、特別何かが良いということもないが、ちょっとした生徒さんとのコミュニケーションの一つであり、潤滑油のようなものだろうか。
多くのピアノ指導者の方がそうだと思うが、自身のための練習時間を確保するのは簡単ではない。
曜日によっては午前から夜まで結構なレッスンが入っているので、毎日同じくらいのピアノを弾く時間はつくれない。自分は最近は月曜が振り替え希望者のための曜日として比較的空くスケジュールなので、月曜にたくさんの譜読みや集中練習をすることが多いだろうか。

それでも自分はもともと長時間練習することは得意ではないので、集中練習日と決めていても、数時間も通してピアノを弾くことはない。40分から50分くらい弾いたら休憩して、気分がのればまた弾くという感じだろうか。
本当は4時間5時間くらい平気で弾けばいいのだが、長時間練習が苦手なのは昔から。「自分は短時間集中型だから」と、子供の頃から自分に言い聞かせていた(?)が、大きな曲をたくさん弾くことを目指すにはどうしても長時間練習は必要だから、本来はあまり良いことではないのかもしれない。
昨日、卒業の時期ということで触れた、就職で少し遠くへ行く生徒さんは、学生生活期間にはそれほどレヴェルアップはしなかったと書いたが、実は自分のところに来たときには、かなり弾ける人だった。

シューベルトの即興曲やソナタ、ショパンのノクターンやワルツにポロネーズなどのかなりの曲数をそれまでにも弾いていて、一般的にはおそらく結構上手な人に入るのかもしれない。

だが、そこからさらに実力を積み重ねるのはやはり簡単では無かった。振り返ってみると、自分でももう少し効果的な指導をしたかったと思うが、不定期なレッスンの難しさでもあったかもしれない。

ただ、譜読みの速度や左手の丁寧な動きなどの少しの改善などはできたようだ。
今後もピアノを続けて少しずつでも良い演奏ができるようになって欲しいとの思いも込めて、卒業記念に手持ちのラヴェルのピース版楽譜を1曲渡した。
3月は卒業の時期。今月でレッスンが終了になる生徒さんのひとりに、大学を卒業して就職が少し遠くへ決まったので、一応先週で自分のところのレッスンは一区切りという方がいる。

学生生活のいろいろな忙しさの中で、不定期なレッスンになりながらも通ってきてくれたことにまず感謝。格段にレヴェルアップしたというわけでもないが、ピアノを続けられたことは大きな財産だろうし、これからも続けて欲しい。

来月からは仕事を覚える忙しい毎日が始まるだろうから、当分ピアノのレッスンに通うことはしないらしいが、仕事のペースがつかめてきたら、指導者探しをするということだったので、自分も思い当たる指導者を数人紹介できるようにしておくと伝えた。

こうして生徒さんが離れていく時期であり、また出会いも増える時期でもある。
自分は生徒さんのステージ演奏の曲目は、自由な選曲でも何らかの制約がある場合でも、できるだけ好きな曲や得意曲を弾いてもらいたいと、基本的には思っている。

もちろん、好きな曲や得意(だと思っている)曲が快演をするとは限らないが、仮にうまく演奏できなかった場合でも、本人も納得しやすいと思うからだ。

だが、ステージ選曲は「あまり得意曲ではない方が良い」という考えの指導者さんも結構いる。
かつて自分が習っていた拍手をする50代先生もそうだった。
例えば、
「今回はリストからも1曲入っていますから、どうします?最近やっている大練習曲の1番か3番か5番か6番から選びましょうか」
と一応は自分の希望を聞いてくるので、
「では、3番か5番でいきます」
と答えても、
「う~ん、モリスさんには6番ですね、6番にしま~す」
などと勝手に決めて、拍手をしている。

慣れないうちは、どうしてそうなるのだろうと不思議だったが、好き嫌いを優先させるよりも、確率の良さそうな曲を、合わせて選んでくれていたのだろう。
これも選曲の方法ではあるように思う。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
レッスンの様子を録音したり、家庭用のビデオカメラで残している人もいるだろう。
今週、ある生徒さんが、中学生時代のレッスンの様子のビデオを持ってきたので見てみた。ツェルニーとバッハのフランス組曲などを弾いていて、指導者がビデオ撮影をしながら指示をしていた。ツェルニーの特定の10小節くらいを、何度もやり直しで弾くように言われていて、生徒さんも一生懸命ついていくようなレッスンだ。

この生徒さんは今は働いているので、レッスンも不定期になりがち。しかも数年のブランクがあったので、残念ながらこのビデオの中学生当時の方が、指の動きの素早さと的確さということに関しては上のように感じた。

ただ、バッハも映像の中学時代のフランス組曲はきれいに弾けてはいるが、今弾いている平均律の方が、フレーズのニュアンスなどは豊かに演奏できている。
本人も今の方が1曲を納得いくまで弾けてピアノが楽しいと言っているから、ブランクがあってもピアノを再開できて良かったのだろう。
高校生の生徒さんで、「結構弾ける」と周囲に人には思われている生徒さんがいる。ピアノを始めたのはそれほど早くもないが、硬派に(?)ベートーベンやバッハなどが好きでよく弾く。

だが、これが結構弾けていない。周りの人が少し聴いて「結構弾ける」と感じるのもわからないでもないが、各指を繊細にコントロールできているようなレヴェルにはかなり遠い状態だ。
それでも、ベートーベンのソナタなどは1番や2番、4番や6番、9番や10番と弾くし、ワルトシュタインなども一応は弾く。生徒さん本人の感覚としては悪くないかもしれないが、聴いているともうかなり苦しい感じだ。

自分はこの生徒さんの演奏を、少し前までは何とか大改革でもした方が良いのでは、と思っていた。こういった弾きかたをしていたのでは、この先ますます苦しい感じの演奏になってしまだろうし、限界も近いように思えるからだ。

だが、今年になってからやろうと思っていた、大改革をするという方向でのレッスンは、やはりしないことにした。苦しいように聴こえるこの生徒さんの演奏も、これはこれでひとつの個性のように思えるし、大きな改革をしてみて多少は指廻りが良くなるよりは、現時点の演奏を少しずつ見直すくらいの方が、良いように思えてきたからだ。
それに別にプロになるわけでもないから、生徒さん本人が気分爽快でベートーベンを弾けているのなら、良いのかもしれないとも思う。
こういった指導のバランスも、難しいところだ。
自分が個人的に好きであったり、思い入れがある曲を、レッスンで生徒さんに弾かせることは、よい面とそうではない面の両方があるだろう。

理由は誰でもだいたい想像できると思う。好きな曲をイメージが全く異なるように弾かれた時の判断も難しいし、ただでさえ主観的になりがちなレッスンが、一層客観性を失う可能性も大きい。

それだけのせいではないが、自分はこれまで弾いてきた曲や過去に習った曲を、現在レッスンで生徒さんに積極的にお薦めすることは少ないかもしれない。まずは、生徒さん本人の希望をきき、それからこちらが生徒さんのために選曲した曲も弾いてもらうという感じだ。

ただ、自分も習ったことがあり、レッスンでもぜひ使いたい曲というのはいくつかある。
例えばモーツァルトピアノソナタ14番(KV457)などはお薦めすることが多いように思う。大人の生徒さんにも人気がある印象で、深い表現を聴かせてくれる方も多い。
はるか昔、白髪爺さんのレッスンといっても、学校のレッスン室ではいつも良い状態のピアノとは限らず、多くの場合は定期的に調律はされてはいるものの、くたびれた180センチタイプの某日本製のピアノ。
2台並んでいて同じ機種の部屋、異なる機種を入れてある部屋などはあるが、「当たり」というのは少ないものだった。

だから、時々巡ってくる「当たり」ピアノでのレッスンは非常に弾きがいのあるものだったが、そんな時に限って白髪爺さんの指示も絶好調で、
「モリス、おまえ数百万くらいあまっているぞ、それじゃ天下の外国ピアノも泣いているじゃないか」
などと言われたものだった。

そう言われて気分はいいものではないが、白髪爺さんの言うことも外れはでもない。高品位のピアノというのは、そのもっている潜在能力を引き出すくらいまで弾くには、やはりかなりの実力が必要だ。

だが、良いピアノというのは、弾きやすさも同時に持ち合わせている。悪いピアノでは全く想像もできないくらい弾けてしまうことだったある。良いピアノはそうではないものに比べると格段に弾きやすい。自分はそう思っている。
このように、入門モデルなどや質などによっては、意外と「一生もの」でもないピアノ。こんなことを書くと、「高いお金出して買ったのに」と思われる方もいるだろう。

しかし、楽器というのは高いもの。ピアノ以外の楽器を演奏したことがある人などは知っているだろう。オーボエなら100万くらいは当たり前。

フルートなどは銀や金で本体が出来ている場合もあり、すぐに100万や200万はしてしまう。知人のフルート吹きが、「俺はもうフルート吹くより楽器を集めるよ」などと言って古今のフルートの名品を集めているが、どの楽器もかなりの額だ。
ファゴットもプロは数百万もする楽器を使っている。
そして、どの楽器もやはり「一生もの」とはいかないらしいし、普通は中古品はなく新品ばかり。

ピアノは中古品の市場が楽器の中では活発の方だから、非常に良い質の中古ピアノに出会えることもまれにある。そのチャンスにめぐり合うためには、やはり調律師などのプロの目と耳の手助けが必要だろう。
知り合いの調律師さんによると、致命的ともいえる欠陥のある中古ピアノを買わされても、一般の人は全く気がつかないこともあるらしいから、気をつけたいものだ。
2回前に、ピアノも新品ならだいたい大丈夫ではないかと書いたが、それでも知り合いの調律師さんはいろいろと教えてくれる。

そして、「同じくらいの値段出して買うなら、こちらよりもこちらですよ」との助言をしてくれるのだ。
つまり、少し弾いてみて「これが良い感じだ。これにしよう」というものでもないらしい。
これが、単にピアノを教えている人(つまり自分のこと)と、ピアノという楽器を本当に熟知している人の違いだ。

以前にいつか書いたかもしれないが、自分が十代の頃に習っていたピアノ指導者は、やはりというか楽器に関して全くの無知で、ひどい音を出しているピアノを、生徒に平気な顔して弾かせていた。
しかも、2台あるうちの少しは良い方を生徒に弾かせるのではなく、自ら弾いていたのだから、かなりがっかりしたものだった。

しかし、ピアノ指導者というのは、そんなものかとも少し思ったりもする。
グランドピアノを買ったら「一生もの」だと思っている人もいるかもしれないが、その知り合いの調律師さんが言うのは、「一生ものというのは、ある意味正解だがそうでもない」らしい。

知っている方も多いだろうが、ピアノという楽器の寿命は、一般に思われているほど長くもない。多くの人によって長時間を何年も弾かれている大学や学校などのピアノが、定期的に調律をしてもひどい音を出すようになってしまうように、低価格から中程度くらいのグランドピアノというのは、それほど長持ちするようなものでもないというのが、その調律師さんの考えだ。

「でも、部品などを取り替えれば・・」と思うが、それも少し事情があるらしい。部品も箇所によっていろいろだから「そこを取り替えるくらいだったら、費用と今後のことも考えて、新品を買ったほうがいいかもね」ということもあるという。
だから、「一生もの」と考えると人は、それこそ「一生もの」に値するだけのピアノを購入する必要があるということだった。
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