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先日、知り合いのピアノ指導者5人と集まる機会があった。
「指導活動の情報と意見交換と、次期演奏会活動について」なんて名目にはなっているが、要するにただの雑談の会のようなもの。

それでも一応、「こんな教本を取り入れてみたら、中学生くらいの生徒さんには結構好評だった」とか「大人の人でどうしても発表会に間に合わない仕上がりの人には、代替曲を薦めるべきか、その場合は何が良いか」など、少しは真面目な内容も。

そんな中、秋にある演奏会を準備しているピアノ指導者が、
「まだ期間があるので、これまでに弾いたことが無い曲を準備しようと考えているのだけれど、難易度が少し高めで技術を見せられるようなもので何かいい曲ある?」
という話に。

高難易度で技術を見せられるという少し漠然としたものだが、他の4人は自身が弾いたことがあり、思いつく曲を提案することに。
バッハ=ブゾーニのシャコンヌは?
ラフマニノフの前奏曲をいくつか弾いたら?
リストのハンガリーがいいよ、5番とか。
と、3人。
自分は、「ラヴェルのクープランの墓はどうですか?最後のトッカータはかなり難しいですけど、完璧に近く弾けば技術を見せられますよ」

そういった4人の提案に対して、質問した本人は、
「バッハはね、ちょっと苦手。ラフマニノフは気分じゃないな。リストのハンガリーはあまり好きじゃないのよ」
といった感じで、さらに
「ラヴェルの何?くーぷらん?知らないわね」

でもこれも予想の範囲内。何しろ質問した彼女は、ベートーベンとショパンとシューマン以外をほとんど弾かない(これ以外は興味が無いようだ)ことは、他の4人は知っている。
だから、彼女自身の演奏だけではなく、生徒さんの発表会も、いつもこの3人の作曲家にブルクミュラーが入る程度という少ない作曲家達。
いつもそればかりだと、聴いている親も面白くないのでは?と思ってしまうが。
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つい先日のレッスンで、少しうれしいことがあった。
その生徒さんは、まだ初級の教則本を何とか弾いているような状態で、気がつけば肩に力が入っていたり、ミスを連発してどこを弾いているのかわからなくなることもある。

それが、その日のレッスンでは、教則本の中のとても小さな曲ではあるが、一度もミス無く、止まることもなく最後まで弾けた。これは初めてのことだった。

誤解をおそれずに言ってみると、ミス無く弾けることはとても良いことだ。
いつも少しの小さなミスがあっても、「だいたい良いかな」と思って進めていると、どの曲を弾いてもそういった状態の演奏をする傾向になる。
そして、実力よりも簡単だと思われる曲を弾いても、やはりミスをする傾向は改善されないことにも。
だから、ピアノ初級者の段階で、ゆっくりの簡単な曲でも、テンポを数えるようにして音を外すことなく弾けることは、とても大切。
そして、何より生徒さん本人が、「ミスなく弾けた」ことを、とても喜んでいた。
小学生くらいの生徒さんにとって、現時点で何が重要な課題であるのか、それほど重視しなくても良いことは何なのか、これの見極めは指導者にとって簡単なことではない。
この時期には、「ある程度こういった練習をして、こういった曲を弾かせて・・」といった研究されたパターンというか、セオリーのようなものはあるが、個人によってピアノへの興味や練習量なども違い、皆にあてはまるものなど、おそらくないだろう。

そしてピアノが上達してく段階がよく見えない親にしてみれば、あせりのようなものを感じる場合は、指導者よりもある人もいるらしい。
例えばブルクミュラーの25練習曲の2番目は、あの有名な「アラベスク」。これをテンポ132や152で完璧なレヴェルで弾くのは、結構難しい。
だが、ピアノ歴2年以上の小学生のお母さんは、
「アラベスク弾けないですね、きちんとは。家でもどうしてもつまづいていまって・・・」
という感想を言っていた。

もちろん、この生徒さんが今の時点でアラベスクを充分に弾くことは、1ヶ月以上をかけても難しいと思われるので、今回はテンポ102くらいでは弾けているので、自分はお母さんにも説明して、次の曲へ進むことにした。
それには、このお母さんも納得したようだが、どこかに
「1番(すなおな心)はしっかりと弾けたのに、2番でもう弾けないとは・・」
のようなものが、口には出さないが残っているようにも見えた。

親が、子供のピアノについて、現時点での曲の仕上がりの出来や不出来が気になるのは理解できる。毎回完璧に近いような状態で弾けていれば、それは当然うれしいだろう。
だが、曲を一応表面だけきれいに弾けるように整えるだけの演奏ばかりに気を使っていると、本質が見えない状態に陥ることもある。
逆に、弾けていない状態は、課題が見えていて可能性があると思っていただければ、少しは気が楽になるのではと思うのだが。
3週間か1ヶ月に1回くらいのペースでレッスンにくる、生徒さんのJさん。クラシックを弾くというよりは、ジョン・レノンのピアノアレンジものや、映画音楽のアレンジ物を持ってくることも多い。
Jさんの本人の希望で、教則本や決まった曲集はいっさい無しのレッスン。自分は大人の生徒さんに関しては、もちろんそれでよしとしている。

演奏の出来としては、既に暗譜した曲については、結構弾ける。軽いタッチで弾くジョン・レノンは、友達数人の前で弾いたこともあるらしく、自信も持っているようだ。

ただ、最近になって、「やはり、クラシックのレパートリーが1曲か2曲欲しくて。いかにも『ピアノ曲』といった感じものを披露してみたいですね」
と言ってきた。

さて、Jさんならどれくらい弾けるのか。一応ショパンを希望と言い出したので、「こんなワルツなどいかがですか?」とワルツの9番を少し弾いて薦めてみたが、
「あ、ええワルツも良さそうですが、ええと、ノクターン9の2というのがありますよね。あれは私では弾けるくらいですか?」
とのこと。ショパンを希望というよりも、既に曲を決めていたようだ。

まだ続いているノクターン9の2の人気ぶり(?)で、やはり有名曲であり、レパートリーとしては良い選曲。
だが、Jさんには譜読みが遅いという欠点があり、その点は幾分ワルツ系統の方が楽にも思えるだが・・・
それでも、今回は一応希望どおりノクターン9の2で。次回までに1ページくらいは弾いてきてくださいと言っておいたが、どうだろう。
まあ、半年くらいかけてじっくりやってみましょうというところだろうか。
今週、ある小学生の生徒さんの聴音問題をやっていてお母さんが迎えに来たので、
「お母さんは、問題聴いていて、音程は少しわかりますか?」
などと会話をしながら問題を進めていると、
生徒さんのお母さんは、
「少し聴き取れるくらいですね、私も小学生の頃ピアノは少しなら習ったのですが、先生が芸術家タイプの方だったのでしょうね。とにかく怖くて、泣いて泣いてすぐにやめてしまって・・・」
などと言っていた。

昔はそういった怖い「ピアノの先生」という方も、今よりは多かったかもしれないなどと思って、
「お母さんの習っていたのは、どこの先生ですか?まあ名前聞いても自分が知らない方でしょうが」
と言うと、
「ええ、もうかなりの年齢でしょうから、今も教えているのかわかりませんが、Y先生という方で・・」
と聞き、驚いてしまった。

そのY先生には、実は自分も一時期習ったことがあるのだが、こんな偶然は初めてだった。
確かに、怒る怖い先生ではあったように思う。そして、その怒るのが少し感情的な印象であり、自分もどうもなじめなかった。
また、そのY先生ご本人は明らかにピアノを弾く技術が退化していて、レッスンでほとんど弾くことがなかったと記憶している。
「芸術家タイプ」とは聞こえがいいが、自身は練習もせずに全然弾けなかったり、小学生を感情的に怒って泣かすのは、芸術家なのだろうかと考えてしまう。
今、生徒さんで新しくピアノ購入を考えている方が一人いるが、まだ漠然と「買おうかな~」と検討している段階(正確には、生徒さんのお母さんが)で、まだ具体的な話にはならないようだ。

自分は無理にピアノ購入を薦めることはない。
レッスンで話をしていて、次第に話が具体化するなら、購入までのもう少し詳しい話になっていくだろうが、大前提としては、「現在弾くピアノがあるならば、まずはそれで良い」ということにしている。
ただ、いざ購入すると決めたらなら、やはりできるだけ良いものを選択したいだろうし、予算も限りはあるから難しい。

つい先日の連休明けに、某楽器店さんがいらっしゃった。持って来たのはピアノのパンフレットのような冊子のようなもの。
「すみませんね。今のところピアノ買う予定無いですよ」
と、自分は先手をうって言ってしまったが、それは楽器店営業さんも十分に承知していて、
「いえいえ、まあ、生徒さんにもしいれば、こんなピアノもあるので。これ見ていただいて、興味あればお店の方にでも」
などと言っていた。

楽器店の営業活動も大変なのかななどと思いながら、それらを一通り見ながら、お茶でも飲んで少しの雑談をしたが、そのパンフレットのピアノは、その楽器店での価格表を見せてもらったが、結構抑えられた価格のようだ。
「おしゃれな感じで、かなりお買得な価格設定ですね」
と自分も言ってみたが、その営業さんは、
「そうなのです。このピアノは設計はあのメーカーですが、中国で作っているのですよ。このパンフレットには、どこにもそうは書いていないのですが、ちゃんと説明はします」
と言っていた。

そのピアノを弾いてもいないのに、悪い印象を持つのも良くないだろうが、中国製ピアノだと聞かされると、やはりちょっと抵抗感がある人も多いのではないかと思う。
それとも、中国のピアノ製造技術も、世界の一流メーカーの技術指導によって、もうかなりの水準に達しているのだろうか。
もし、そうだとしても、自分はまだ弾いていないし、調律師さんからこのピアノについての話も聞いていないので、今のところ生徒さんにはお薦めはしないかな。
数年前に、手元に残しておいた、これまでに行った演奏会のチケットの半券とパンフレットなどは、ほとんど捨ててしてしまった。
このまま溜め込んでも良かったのだが、それを資料や思い出として見る事は2年に1度くらい(?)しかないし、本棚の場所も占領しているから、得意の捨てる思い切りの良さでまとめて処分。

さて、その処分よりはるか前、自分が行った演奏会で、どの曲目を最も多く聴いたのか、数えたことがあった。
その数えた記憶も今ではあいまいだが、最も多く聴いた曲は、交響曲ではなく、確かショパンの「ピアノ協奏曲第1番」だったのは、数えて時点ではおそらく間違いないと思われる。
2曲か3曲くらい演奏するプログラムだと、間に協奏曲を入れることも多く、交響曲よりも幾分数が絞られるので、1年のうちで重複することもあったと思う。

ところが、ショパンのピアノ協奏曲第1番というのは、最も回数を聴いているはずなのに、名演奏が記憶にあまり残っていない。
聴いたピアニストの中には、あのフランス人の巨匠とか、あの本場?ポーランド人とか、あの有名日本人とか、あのコンクール最上位入賞など、本当にたくさんいるのだが、「素晴らしい」と思った記憶がほとんどない。
これは演奏が悪いというよりも、自分と曲との相性なのだろうかと、一時期は思っていたが、現在では好きな曲かもしれない。

逆に子供の頃、とても印象に残った曲は、ドボルジャークの「新世界より」など。子供にも聴こえが良い曲だからだろうか。
久しぶりに、自分が昔学んだ声楽の先生(A先生とします)のお話。

オペラの本場であるイタリアに数年間留学していたそのA先生は、イタリア人教授のB教授と、C教授という、どちらも名を知られた名教授と呼ばれる教授に、普段からレッスンをしてもらえることになった。
やはりというか、想像はしていたが、発声方法や発音などの基本的なことからのレッスンとなり、最初は簡単なイタリア歌曲のようなものしか歌わせてくれなかったそうだ。

そのレッスンだが、A先生はかなり困惑したそうだ。B教授とC教授の言っている発声方法が、ある部分に関して違うのだ。最初は、
「あれ?何か違うこと言っているような気が・・・」と思っていたのが、レッスンを重ねるうちに、
「B教授とC教授は、全く逆のことを言っているのではないか」
と思うようになり、ますます困惑したとのこと。

そんな普段のレッスンが続き、A先生は、
「わかった。2人とも違うことを言っているようで、本当は同じ事をいっているのだ。最終的には同じことなのだ」
と、言い聞かせるように、B教授とC教授のレッスンを受け続け、B教授レッスンでは言われるとおりに、そしてC教授レッスンでも言われるとおりにやっていた。

それから時が経ち、留学も終って日本で活躍するようになったA先生だが、その当時を振り返ってみて、
「やはりね、同じイタリア人の高名な声楽教授でも、B教授とC教授の言っていたことは本当に全然違っていて、結論も違うものだった。つまり、練習方法も到達点は一つじゃないし、そういうものなんだね。
日本だと音楽に限らず、『これが正しい』ということを、皆が一斉にやったりするけどね」
と言っていた。
バイエルを4年間で終えることができないピアノ歴だった妹だが、手元にある妹が使用していたバイエルを開いてみると、楽譜の理解度がかなり不足していることがわかる。
例えば、バイエルの70番以降では、ト長調の曲を弾いているのに、全てのファに指導者の書き込みで#(シャープ)がつけられているし、右手と左手の8分音符を合わせるようにと、縦に線が引かれている。
それから、休符に「うん」などと書かれていて、さらに○印が。

他にも、「3度」とか「6度」や、拍子の1、2、3 のような数字も楽譜にたくさん。よくもこれだけ書いたかと思うくらいだが、これも見る限りでは、当時小学校の5年生くらいだった妹が、ほとんど楽譜を読めないことが明白。

でもこれは、指導者の問題でもあったのだろうと思う。
楽譜は音程が読めるようにはすぐになっても、リズムに関しての十分な理解は遅い子供もいるのだが、ここまで拍の合わせ方の線のようなものを、バイエルの全ての曲に書いているのは、音符の音価を理解させることができなかったと言える。また、調号と臨時記号の違いも、指導できていないようだ。しかも楽譜に書き込みが赤エンピツとボールペンで埋め尽くされていて、見栄えは非常に良くない。

そんな指導でも、その時は少しは弾けていた気分になっていた妹だが、ピアノをやめてしばらくして大人になってから、「やっぱりもう少しちゃんとやっていれば良かった・・・」とは言っていた。
これは、ひとりで楽譜を見て弾けるようなレヴェルになる前にピアノをやめてしまった多くの人が持つ感想のようで、4月から自分のところに習いに来ている小学生のお母さんも同じように
「私は子供の頃、中途半端なところでやめてしまって、この子にはもう少しのところまでは。私もできれば、時々でいいので習いたいのですが・・・」と言っていた。

そのお母さんの目標はモーツァルトで、着実にやっていけばそれほどは遠くない印象。親子でまずまず弾けるようなレヴェルになれば、ピアノの楽しさが一層深まりそうだ。
続けるのが難しい時期もあるだろうが、中途半端でやめると後悔する人も多いのがピアノ。生徒さんには、一応弾けるようなレヴェルまでは続けて欲しい。
テーマ:ピアノ
ジャンル:音楽
ピアノを習うと言っても、生徒さん本人にも、そして親にもかなりの意識の差はあって面白い。
新しい曲は毎回譜読みミスがないかチェックしている親もいれば、レッスン内容にほとんど関心がない(よく言えば、指導者にまかされている?)親もいる。
自分はどちらでも良いとは思うが、レッスンがペースにのるまでの初心者期間は、家での親のサポートが少しは欲しいといったところだろうか。

さて、自分が子供の頃のモリス家の両親も、レッスン内容には関心が無かったと思う。
正確には、関心が無いというよりも、初級者から中級者くらいが弾くような教則本や練習曲、その他の曲に全く馴染みが無かったのだろう。
自分がベートーベンのピアノソナタなどを弾くようになった時には、時々感想は言うくらいだった。

だから、自分の妹のピアノに関して、意見や感想を言うことはほとんど無かったと思う。
これも以前に書いたように、妹は小学生の4年間ほどピアノを習っていたが(自分とは違う指導者)、ついにバイエルは終わらないほどの凄腕だった。
家で弾く曲は、いつもたどたどしいバイエルの何十番かで、全く進歩がないので、親も無関心だったのだろうか。
それでも親が最初に抱いていたのは、妹は小学校の音楽の成績が非常に悪かったので、「せめて楽譜くらいは読めるようにピアノ習わせて・・」というものだっと記憶している。

そして、習い始めた妹もピアノが好きというほどでもなく、だらだらとバイエルを4年も続けてしまったのだが、結局は最初の目的である「楽譜を読めるように」も、完全には達成できず、楽譜の音程はだいたいわかるが、調号と臨時記号、そしてリズムには全く弱いままで、ピアノはやめてしまった。

今考えると、自分も少しは妹を補助してやれば良かったのかもしれないが、指導者も違い、使用教則本なども違ったので、家であれこれと妹に言うことはしなかった。
結局妹は、小学校を卒業してからも「私はピアノをやっていた」という意識のみが残り、テレビで有名ピアニストが弾いていても
「この人、あまり上手じゃないね」なんて平気で言うだけの人となってしまった。
バッハというと、自分の意識の中では「苦労した、苦戦した」ということばかりが残っているが、ピアノを弾いてきて、最近がバッハを一番好きな時期で、よく弾いているし、生徒さんのレッスンでも使う機会が増えたかもしれない。

そのバッハへの苦手意識というのは、高校生くらいの時はかなり感じていたが、白髪爺さんに習うようになってからは、一層感じるようになった。
例えば、3声の15曲あるシンフォニアのいくつかの曲は、平均律のいくつかのフーガよりも難しい。
そして、白髪爺さんにいくつかのシンフォニアのレッスンも受けたが、以前のも書いたように、自分のただ通過するような弾きかたが、お気に召さないらしく、怒られる。
そして、装飾音符のタイミングで、またがっちりと怒られる。これを克服することが、自分はとても苦労した。

さらに、いつもテンポが速すぎるらしく
「どうしてそんなに速く弾くのかね!指が動いていればいいってもんじゃないんだよ」
と怒られる・・・。

だから、当時はレッスンでのバッハは憂鬱だったのだが、今ではバッハのフーガを少しは表現ができるくらいにはなっただろうか。
やはり、当時のあのレッスンで、かなりバッハの曲の特徴をつかめるように、なったのかもしれない。
昔と今との比較といえば、ピアノ練習に関する考え方や、練習時間なども異なっていたのだろう。

手元に面白い本がある。ライマーと、20世紀の巨匠ギーゼキングが書いた「現代ピアノ演奏法(音楽之友社)」。
もう半世紀以上も前に書かれてた古い本だが、内容は結構興味深い。

例えばバッハのインヴェンションを例にした練習なども書かれているが、「インヴェンションは2つか3つを弾くだけで十分で、数多く弾くのは余計なこと」と記されている。
しかし、インヴェンション1曲を、良質な奏法で細心の注意を払って、完璧に弾くように指示されていて、仕上がりまでの時間は結構かかるとなっている。
現代でもインヴェンションは重要と多くのピアノ指導者も言いながら、生徒さんがあまり弾けていないのに、結局は次のインヴェンションに進ませてしまう傾向もあるので、参考になりそうだ。

他にも、ベートーベンやモーツァルトなどの曲を使った技術解説などもあり、一応は専門家向けの本だが、内容的にはそれほど難解なことが書かれているわけでもない。
また、現代では少し古かったり、それほど実用的でもない演奏技術なども少し含まれている印象は否めないが、読み物としても面白いので、買わないまでも図書館などに置いてあれば、一度読んでみてはいかが?
(自分も買っていない。10年以上前に知人よりいただきました)
自分の両親は当然のように戦前生まれなので、クラシック好きだったといっても、聴いてきた演奏家は現代とはかなり時代が異なる。

レコードは、ベートーベンのピアノといえば、バックハウスやケンプ。
交響曲の指揮者といえばフルトヴェングラー。ピアノ協奏曲はリヒテル。バイオリン協奏曲はオイストラフ。
「珠玉のピアノ名曲集」などとレコードも、今ではすっかり太ったおじいさんである、フィリップ・アントルモンのかなり若いときの写真がのっていて、説明に「フランスの貴公子と呼ばれるピアニスト」などと書かれている。

そういった戦前生まれ時代のクラシックファンだが、やはりそういった昔の演奏家が好みかと言うと、実はそうでもない。
昔の現代の録音の違いもあるのだろうが、ベートーベンのピアノソナタも、バックハウスを聴き飽きたせいなのか、ゲルハルト・オピッツなども良いと言っているし、ブレンデルも気に入っているようだ。
そして、今注目のランランにも好印象を持った様子。

そう考えると、意外に若い人の方が、昔のピアニストの演奏を多く聴いていたり気に入ったりする傾向も、少しあるのかもしれない。
いつの時点が楽譜を読めるようになったのかを、正確に覚えている人はいるだろうか。
小学校の音楽の授業でも、どこかの学年で音符の読み方くらいは教えるだろうし、それ以前にピアノや楽器を習ったり、合唱団のようなもので覚える人もいるだろう。

だが、その時点での楽譜に対する認識というのは、結構漠然としたものであって、音程はわかれて読めていても、リズムに関しては「タン・タタ・ターン」なんて説明をされて、その音符が本当はどれくらいの音価を持っているかなんてわからずに、「4分音符の長さは、タン1個?」のような感じで覚えてしまうこともあるだろう。

それは悪いことでもなく、子どもは感覚から覚えやすいからいいのだろうが、ピアノを習っていて、一人で問題なく譜読みしていける生徒さんでも、楽譜についての理解は、一定期間ごとに再確認した方が良さそうだ。
例えば4拍分を、4拍の冒頭で終えてしまう人は結構多く、これは一度くらい説明しても改善されないこともある。

やはり、ピアノを専門的にやらなくても、一定期間はソルフェージュの徹底が効果的だろうか。拍子やリズムについても、少ししつこく徹底して歌ってもらうことは、かなり効果がある。
そして、そうして身に付けた感覚が、複雑な曲を演奏するようになって、どこかで迷ったり判断がつきにくい箇所があっても、そういった基本的なところから考えることでできるので、自己解決できる可能性も高くなる。
もちろん、ソルフェージュを何年もやっていても、ピアノ演奏とはまったくの別物になってしまっている人もいるのだろうが。
いつも「軽く~軽く~」と言っていたムッシュニコラだったが、そのピアノの弾き方はどんな感じだったのか。

軽くと言っても、それはリズムや音楽の進行の感じのことで、しっかりとしたタッチを持ってドビュッシーやサティなどを弾いていた。
だが、実は弾きかたそのものは結構適当な感じ(?)で、手に余計な力を入れている感じはしないものの、一般的にイメージするような手のきれいなフォームとはほど遠い印象だった。
しかし、その適当な感じの弾きかたで、ピアノは本当にテンポよく進み、最適バランスとは少し異なる和音のバランスで響く音が、音色をつくっているといった感じだろうか。

そして、曲の盛り上がりや難所では、人間はどうしても体が硬直してしまいがちだが、ムッシュニコラは呼吸を大事にしていたと思う。大きな声で
「吸って、吐きながら力を抜いた腕で、鍵盤をドーンと!」
という意味らしいことを、フランス語と両手を大きく使って指示してくる。

本当は何を言っているのか、レッスンでは半分も理解できていない自分だったが、自分が良い演奏だったか、そうではなかったのかは、ムッシュニコラはいつも顔も手も表情豊かに示してくれるので、わかりやすかった。
「軽く~、もっと軽く~ですね~」
これは、自分が習っていたフランス人の教授が、口癖のように言っていた言葉。
以前にもここには登場したかもしれないが、仮に名前をムッシュニコラとしておく。

ムッシュニコラは、当時はほとんど日本語が話せなく、自分もほとんどフランス語はわからない。だから、ムッシュニコラが辞書などを見て覚えてきたいくつかの日本語と、自分も辞書やテレビで覚えたいくつかのフランス語の単語、それに身振りを沢山交えてのやりとりとなる(英語の単語を使うと叱られるので使えないし、ムッシュニコラは英語がわかるようだが、知らないフリをしていたようだ)。

そして、よく言っていたのが冒頭のセリフの「軽く~」だった。
この場合の軽くというのは、鍵盤を浅く弾くような意味ではなく、例えば曲の中でも歌という要素が強い部分でも、リズムが重たくなったり、歌が思い入れタップリになりすぎずに、どんどん音楽を先に進めるような感じだろうか。

たくさんのことを教えていただいたムッシュニコラだが、最も印象に残っているのが、この「軽く~」だ。

これまでにも何度か譜読みについては触れてきたが、つい昨日のレッスンで、譜読みについての会話を生徒さんとしたので、少し触れてみたいと思う。

その生徒さんは、譜読みミスは非常に少ないのは良い点だが、譜読み段階の演奏が、漠然と弾いているような状態に近い。レッスンでいろいろと言ってみると、かなり良くはなるのだが、これではもう一歩先にはいけないような感じだろうか。
大人になってから始めたピアノで、まだそれほど時間も経過していないせいもあるのだが、ご本人も曲の仕上がりの質を最近は気になりだしたようだ。

そこで、譜読みの話になったので、少し説明をしてみた。ここでは何度か書いているようなことで、特別なことではないが、こんな感じだろうか。
新しい曲をすぐに弾くのではなく、1ページの曲も10ページの曲も、最後まで楽譜を見る。新曲視唱のように音が頭で把握できなくても、サラッと眺めるだけでもいいので、とにかく何か感じること。「音符が多い」とか「弾きやすいそう」、「フォルテが頻繁」、「前弾いた曲に似ているかも」など、何でもいい。

それから、ゆっくりと譜読みで弾き始め・・・の前に、できればテンポ近くで試しに弾いてみる。最初だけでもいいし、全然弾けなくてもいい。少しでもイメージをつかむ。
ここから、ゆっくりで譜読みを開始だろうか。だが、譜読みというのは、音符のみを正確に弾くことではないから、ゆっくりでも楽譜上のテンポ以外の指示は、全て含めて譜読みする。ゆっくり譜読みでは、全ての音をメゾフォルテやメゾピアノで弾く人もいるが、それだと仕上がり段階の最後の最後まで、そのイメージが残る人もいる。

つまり、譜読みというのは仕上がりのイメージを持って演奏することが必要。仕上がり近くになって、持っていたイメージが変わってもいいが、何もイメージがなく漠然と抑揚も拍感も希薄なメゾピアノ譜読みをすると、仕上がりもそうした演奏の延長になりやすい。
連休明けのレッスンでは、弾いてきている人、弾いていない人のどちらもいるが、先日も登場した、レッスン反応は良い小学生の生徒さんは、通常どおりくらいには弾いてきたようだ。

先日と同様に、バーナムは順調。移調、テンポアップ、リズム変化などの追加する要求にも機敏に応えて弾いてくれるので、自分もやりがいがあるし、指の動きに無駄が少なくなってきて、以前はあったような肩に力が入ることもかなり減った。

ところが、そのバーナムを弾くときの良さが、曲につながらない。今回はカバレフスキーの「いたずら」だったのだが、テンポはまだそれほど上げていないのに、音の粒がそろわずにかなりガタガタとしている。
このような、練習課題での得た技術が、曲に生かされていないような現象というのは、結構良くあることではあるのだが・・

曲のイメージをつかむという能力が、この生徒さんにはまだまだ不足しているので、同難易度で動きの質も同レヴェルの曲でも、曲想によって出来、不出来があるのは確か。
様子を見ながら、そういったところをもっと向上させていかなければならないとは思うが・・・自分の指導力不足と言われてしまえば、それはそうなので反論はできない。
曲の難易度も上がっていき、指もどんどん動くようになったとしても、ピアノを弾くということに関して残ってしまいがちな問題は、いろいろとあるだろう。
例えば、リズム感や、打鍵のコントロール、響きに対する感覚・・・
そして、ほとんどの場合、問題点は一つや二つではなく、いくつの弱点が組み合わさったようなものでもある。

このうち、リズム感というのは、大人になってピアノを始めたような人でも、結構何とかなるものだと、最近特に感じている。
以前は、大人はどうしても、お尻の重たいような演奏をしてしまいがちだと思っていたが、簡単な弾きやすい曲を使ってレッスン中に訓練を重ねると、かなり改善される人もいる。

ピアノで大事な打鍵のコントロール。これについては短期間で劇的に良くなる人もいるが、かなり長期間でも向上が微小の人もいるので、難しい問題かもしれない。だが、時間をかければ、悪くなるということは少ないだろうか。

そうなると、やはり残りがちで最も困難な課題の一つは、響きに対する感覚かもしれない。楽譜上の音を全くミス無く弾けているのに、「このバランスの響きでは・・・」という演奏を、良くしていくのは非常に難しい。

逆に、響きのイメージを指に伝えることができて、ピアノから出た響きを聴いて、さらにその先の響きを作り上げていくことができる人は、素晴らしいと思う。
子どもだと、それが無意識にできている場合も多いだろうが、大人だとやはりそれまでの音楽経験が影響するのだろうか。
よく文中に登場してくる白髪爺さん教授。この方は当然のように相当弾ける人だったが、拍手をする女先生も、定期的にリサイタルなどもおこなう人であり、かなりの腕前だった。

しかし、かなり前に一度くらい触れたかもしれないが、拍手をする先生のピアノの弾き方は、実はあまり参考にしたいような手や指の使い方ではなく、効率も良さそうには見えなかった。

これについては、拍手をする先生自身がもっともよく理解されていて、
「今の人(当時の学生達や若い講師、若手ピアニストのこと)の方が、弾き方はいいですね~。私はね、あまりいい弾きかたでもないのですよ。力も結構入っていますから~」
などと言っていて、ついでに
「モリスさんも、弾きかたは私よりも、ずっとずっといいですよ~(ここで拍手)。
ですから、レッスンは私の弾き方を教えるのではなく、今のモリスさんの弾き方をさらに向上する手助けと、表現したい音楽を構築するためのアドヴァイスですよね。」
とのことだった。

これを言っていたのは、自分が拍手をする先生に習い始めたばかりのことだったと思うが、今考えてみても結構すごいことだと思う。
ある程度の地位にあるような指導者が、「私の弾きかたはあまり良くない」などとは普通は言えないし、自身のピアノの弾き方の質について、自覚していない指導者の方が多いように思う。

これは習う側の生徒さんにも言えることで、「私の先生の弾きかたは、良い弾きかたなのかな」と、レッスン中に指導者を観察して考えることも、本当は重要だと思う。
そして、拍手をする女先生のように、自身の弾きかたはあまり良くないと自覚している指導者は・・・きっと良い指導者のような気がする。
この連休を利用して、少しソルフェージュ課題の作成や研究に力を入れている。
力を入れているといっても、特に大げさなことをしているわけでもなく、音感があまり良くない生徒さんでも、無理なく聴き取りができるように、4小節くらいの短めの課題をたくさんつくったりなど。

弾けているのに、聞き取れないという人も結構いて、これが譜読みミスの多さなどにも影響する場合もある。
ある生徒さんは、3曲、4曲と課題を出してみると、だいたいは弾いてくるのだが、絶対といっていいほどに、1ページに1箇所くらいは楽譜と異なる音を弾いても気がつかない。某大手の音楽教室に通っていて、リズムや音に関しての訓練のようなグループレッスンもあって、そのグルーム内では優秀だったと聞いていたのだが、少し話と違うようだ。

何度か言っているように、耳は聴こえているのだが、おそらく脳で完全には意識できていないといった感じだろうか。
聴音課題を少しやっていくうちに、それがつながっていく場合も多いのだが、この生徒さんに関しては、これまでのところ成果があらわれているような、いないようなといったところだ。
もう少しで、単旋律なら問題なく聴き取りできる程度には達するとは思うのだが、連休明けに、作った課題でいろいろと試してみようと思う。
レッスンというのは、生徒さんの反応が良いとやりやすいし、やりがいもある。そして、充実した時間なのに、ある意味、楽でもある。

例えば、小学生でバーナムのテクニックを毎回しっかりと弾けている生徒さんがいるが、レッスンではそこから
「もっと音を聴いて粒をそろえよう。もう少し手をこのように使ってみて」
と指示してみると、すぐに反応してさらに音の粒がそろうように。
そうなれば、そこから
「はい、では全てピアニシモでどうぞ」
と言うと、2回くらい弾けばピアニシモでもそろって弾けるように。
「では、ピアニシモのままテンポアップ」
「ピアニシモでスタッカート」
「フォルテとピアニシモを2拍で交互に」
「では、G長調に移調、繰り返してC短調で弾いて」
などと、どんどんやっていける。そして、技術上でも曲を弾くということに関しても、レッスン中に明らかな改善や上達を感じられる、数少ない生徒さんだ。

だが、実はこの生徒さんが、家ではあまり弾いていないことは、お母さんからも聞いているしるし、そうだとは思っている。
バーナムだけではなく、曲でもレッスン時にすぐに反応できてしまうので、家では譜読み程度に弾ければOKだと、本人が思ってしまっているようには感じている。
もう少し様子を見て、家での練習をもう少し充実したものになる方向へ改善したいところ。バーナムでいろんな練習方法をやるなんてことは、本当は数回のレッスンで練習案を提示したら、あとは自力でやって欲しいものだからだ。
音楽関係で専門を目指すと、どの楽器(声楽も)を専攻していても、ほとんどの場合ピアノの個人レッスンもある。(無いところもあるらしいが)
すると、ピアノは副科なのに「どうしてピアノの先生というのは、怖いのだろう」という話に、昔はよくなったもの。
これはピアノ指導者=怖い人が多い、他の楽器や声楽の指導者=やさしい人が多いという単純な図式でもないのだろうが、当たっているような、いないような、結構微妙なところだろうか。

確かに、自分もかつて習った指導者の中には、レッスン中に怒鳴るような人もいた。
白髪爺さん教授なども、怒鳴りに近いことはよくあったが、それでも話の内容や指示が全くの的外れに感じることは無かったから、それなりに納得はできていた(もちろん、納得がいかない部分も多かったが・・・)。

しかし、そうではなく、すぐに叫ぶような指示というのか、説明にも何もなっていないような怒鳴り声をあげる指導者に習ったこともあり、これにはさすがに困ったもの。ピアノを弾くこと自体が嫌になりそうだった。

さて、自分はレッスンではどうかというと・・・性格が特別に温厚というわけではないが、生徒さんに、怒鳴り声をあげたりということは、今まで一度もしたことはないと思う。
特に、やさしくしようと心がけているわけでもないが、人と接するというのは、それが当然だからだろうか。
それに、大きな声をだして上からものを言っても、かえって伝わりにくいものでもあると思う。
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