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いよいよ、初歩教本を使っての、楽譜の基本の基からのレッスンのスタート。

今回、この生徒さんの使う教本は、「説明は少なめ」・「1曲が短め」・「曲数も少なめ」・「変化球的だったり、風変わりな曲も少なめ」といった本を使うことにした。
これまでに、調とスケールと手のポジション、和音の構成などについて親切に解説されている教本を使っていたのだが、その説明が多いせいか、生徒さんには
「ゴチャゴチャとにかくたくさん説明が書いてある」
というように見えていたようで、わかるための親切な解説の文字の多さ、イラストの多さが、かえって逆効果のような印象があったからだ。

そこで、そうした説明が最小限で、とにかく「ト音とヘ音の大譜表をしっかり読んで弾く」ことに集中できるようなシンプルな教本を選び、必要な知識は、その都度色ペンで書き込みをいれて解説をする。
しかも、同じようなことを何度も言って、とにかく基本を叩き込むようにする。

さあ、レッスン開始。
1曲目は、左右の手は両方使うが、同時に弾くことは無く、ほとんど片手だけで弾く曲。
生徒さんは、ほぼ弾けているが、この簡単な曲で、大譜表は、真ん中のドから上がっていく、下がっていくということで読むことを、徹底させる。
また、音符の名前と音価と確認。全音符を、2つに分けたものが二分音符、4つに分けたものが四分音符・・・やはり知らなかったようだ。

2曲目も、左右の手は使うが、片手ずつの曲。
音楽というのは、どこで盛り上がるものなのか、フレーズの弾き方も、こんな小さい曲でも確認。これは今後も、全曲でやっていくが、このように既に知っている曲が入っているので、その抑揚と楽譜で読むフレーズ感を一致させていくことも重要。
音価について再確認。
特に最後の音は、例えば3拍なら「1,2,3」と数えて、「3」で終わったら短い!「4」に入る瞬間に弾き終えるのが正しい音価の3拍。
拍子を確認。これはほぼ大丈夫だった。

3曲目は、ついに両手になるが、単純明快な曲。
ここで、もう一度、大譜表と音域を確認。

1回目は、とても簡単だったこともあり、生徒さんは弾けている。
だが、弾けているだけでは十分ではなく、現時点で、生徒さんは「何をわかっていて、何をわかっていないのか」を、はっきりさせることが必要。
だから、しつこいくらいに当たり前のことを繰り返しやって、とても簡単なことや基本的なことも生徒さんに質問して、1個1個を確認しながら進めてみた。
そうして、「わからない」や「あいまいに覚えてる」を取り除く作業を大事にしながら、確信を持って次のページへ進めることを、大事にやりたい。

次週のレッスンの、4曲目からが、少し勝負どころだろう・・・つづく。
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基に戻るシリーズ(?)を書いているが、ここで少し休憩して、関連がありつつも少し違う話題を。

先日、郵便ポストに、あのコンクールの参加要項が入っていた。そういう時期です。
自分は、生徒さんをコンクールにたくさん出したいと特に思っているわけでもなく、「この時期の1つの目標として」、「ステージ演奏の1つの機会として」、「審査されて講評を貰える機会として」と考えて、課題曲を弾ける実力が備わっている生徒さんには、
「課題曲が発表になったから、選んで弾いてみるといいよ~」
と言う程度の声かけをしている。
そして、生徒さんが出場すると言ったら、しっかり曲選びをして、練習の大まかなスケジュールを立てる。

というスタイルなのだが、「コンクールがあるよ」というプリントを簡単につくって、一応全員に渡すことにしている。
それは、後から、
「コンクールがあるなんて、知りませんでした」
と言われてしまうことを、避けるための予防策でもあるわけだが、課題曲に実力が及ばない生徒さんには、帰り際にプリントを渡して、説明もさらっと・・・で、以前はうまくいっていた。

しかし、2年ほど前から、プリントを渡して説明もサラッと作戦の翌週に、
「先生、先週いただいたコンクールのプリントのことですが、うちは出場できるでしょうか?」
という、生徒さん、保護者さんがでてくるようになった。

つまり、プリントを渡した時点で、選曲方法などの、ある程度の詳細を説明をせずに、サラッと説明だけということは、「まだ出場可能な実力ではないですよ」、という意味なのだが、そんな自分の意図は全く伝わらなかったようだ・・・。
もちろん、それは自分の説明不足であり、プリントを渡す時点で、
「がんばって、来年にでも挑戦しよう」
と言えばいいのかもしれないが、来年と断言してしまうのも少し言葉が・・・

だから、課題曲のレヴェルに及ばない生徒さんに、出場が可能かどうかの話をされても、
「出場なんて無理です」
というわけにもいかないので、この場合は、課題曲をとにかく選んで、実際に弾いてもらうのが一番だろう。
数週間弾いてみると、今やっている教本、曲とは、レヴェルが一段、二段違うと、実感してもらえるはず。
既に今年も、出場希望の生徒さんはいて、実力も様々・・さて、どうなるだろうか。

ちなみに、現代の自分のところでは、実力上位数名は、コンクールにはいつも出場しない。
そのうちの一人は、昨年は、
「1個上の級にでも出てみたら?」
と軽く誘ってみたが、
「いや、無理無理。下手だし、自信無いし・・・もっと上手くなったら」
ということで、やはり出なかったが、発表会などでの演奏は、毎回評判が良く、他の保護者さんからも、
「先生、あの生徒さんは凄いですね。やっぱりコンクールとかでも、賞をとったりするのですか?」
などと、いつも質問を受ける。

自分は、そのたびに、
「いや、あの生徒さんは、自信無いタイプなので、コンクールには出ない派ですね」
と答えるパターン。
この生徒さんのように、ある程度上手くなってくると、自身の実力がまだまだだということも実感するものだろうから、より慎重になるのは仕方ないのかもしれない。
初歩教本をレッスンに組み込みながら、音符の読みの基本の基からやるということに、一応生徒さんは納得してくれたし、少しのやる気もありそうだ。

だからと言って、「それでは本日から基本からスタート!」・・・ではない。
そうしたレッスン方針としてやっていくということを、保護者さんに納得してもらう必要があるわけだが、これについては自分としては、今回は、おそらく問題ないと思っていた。

というのも、お迎えに来たお母さん(時にはお父さん)と何度も会っているので、何となく人柄も把握しており、そうした基本を一度しっかりやる方針にも、この生徒さんの保護者さんはおそらく納得してくれるだろうということを事前に予想した上で、今回の「基本の基に戻る」を生徒さんに提案させてもらったわけだ。

そして、この日のレッスン終了時刻近くにお母さんが迎えに来たところで、時間を10分ほど使って、これまでの経緯や、これからの方針などを説明させてもらった。
生徒さんのお母さんは、
「以前からもう少し何とか楽譜を読めないものかとは思っていました。
この子も少しずつでも上達はしているとは思っているのですが、曲が新しくなるたびに、譜読みが大変そうで、私もつい口を出していました。
最近は、意識して譜読みのお手伝いはしないようにしていたのですが、それだとやはり明らかに違う音を弾いていても、気がつかないようで・・・
今回の先生の提案は、本当にいいお話だと思います」
と、言っていただいたので、一応安心した。

自分は、
「レッスン内容のレヴェルを低くしたとは思わないでください。
基本の基に戻って、これまで、わかっているようでわかっていなかったようなことを、曖昧にせずに、一歩ずつ確実に習得していく方向ですので、『あの時やっておいて良かった。本当にいい機会だった』と思ってもらえるような内容にしていくつもりですので、むしろ、内容は濃くなります」
と伝えたが、
お母さんも、
「はい、今基本をやっていただけると、よくわからないで弾いていた状態が、わかるようになって、ピアノがもっと楽しくなると思いますので、よろしくお願いします」

ということで、次回のレッスンから、譜読みの基本の基がいよいよスタートとなる・・・つづく
初歩の教本を手に持ちながら、自分は生徒さんに話を始める。
「楽譜の読み方自体を知らないわけではないと思うし、全く読めないわけでもないが、今の状態でのレッスンを続けていくことは、正直言ってあまり良いことだとは思えない。
そして、あなたは楽譜から音やリズムを正確に読めないとことを、何度も言っても、深刻な事態であるとあまり感じていない様子だが、それこそがとても深刻なことなのかもしれない」

自分も、いつもよりも真剣な表情で話をしたつもりだったが、それを生徒さんも少し感じている様子だ。
自分は続ける。
「ヘ音記号で、オクターブ違いをしても、言われてから気がつくけれど、次週にまた同じ間違いをしていては、自力で読めている状態ではないし、例えば、曲で2ページ曲のレッスンの1回目だと、当然ゆっくり弾いてOKだけれど、譜読みミスはあっても1個、せいぜい2個というのが、ピアノのレッスンというもの。
譜読み違いが無いかチェックはしているけど、それはレッスン内容のほんの一部。
つまり、自分はピアノ指導者であって、『譜読み間違いチェック屋さん』ではないよ」

レッスンでは、毎回のようにこれらのことは言っているのだが、今日は流石に違う様子というのを、生徒さんもかなり感じたのか、じっと聞いている。
自分はさらに続ける。
「このまま、現在のレッスンの内容で、曲と教本とテクニック本とやっていても、どれも少しずつ難易度が上がっていて、家でお母さんも譜読みの手伝いも出来なくなり、ピアノが嫌になるかもしれない。
そうなる前に、もう1度、この初歩の本から、やってみない?
指導側としては、『ああ、この生徒さんは、何度言っても譜読みが治らないから、もうこのままだらだらやっていこう・・』のような感じに、諦めたようなレッスンにしたくないから。
全てを初歩にするのではなく、まずはテクニック本を休止して、この初歩教本で譜読みの基本の基をやろうと思うけど、どうかな?
数ヶ月しっかりやれば、きっと楽に読めるようになるし、オクターブ違いなどしなくなる。
でも、あなたが『そんな初歩の本を今更やるなんて、絶対に嫌』というなら、無理にはおすすめしない。
ただし、これはチャンスだと思うよ」

初歩の本からと言われて、それはきっと少しはショックだったのだろう。
生徒さんは、しばらく(と言っても数秒)だまっていたが、
「うん、やっぱり譜読みが全然出来ないので、やってみようと思います。
一応、高校生までがんばってピアノ続けようと思っているから、今やっておけば・・・」
と、少し小声で口を開いた。

自分も、
「そう、今やっておけば、半年後、1年後には、『あの時、基礎の基に戻ってやって良かった』と思うかもしれない。
でも、やらなければ、楽譜がよくわからないで、このままだらだらと進んでいく可能性の方が高い」

生徒さんも、
「そうだと思います。だから、やってみます」
ということで、基礎の基に戻ってもらうことを、生徒さんには了承してもらった・・・つづく。
この数カ月の様子を見て、そしてここ数週間で、この生徒さんには、「楽譜の読んで、その鍵盤を弾く」という基本の「基」に戻ってやってもらうことを、生徒さんと保護者さんに伝えることに、自分の中ではほぼ決心は固まった。

だが、最後に、もう1週だけ待ってみることにした。
今やっている曲、教本、テクニック系の本は、どれも初級であり、譜読みに難しいリズムや広い音域などは一切無いが、それでも家では譜読みを手伝ってもらっている様子。

これまでも、レッスンでは、何度も繰り返し述べてきたことだが、
「誰かに手伝ってもらわずに、ひとりで譜読みをする」
「音もリズムも数えて正確に」
これを、よ~く何度も言い聞かせて、次週まで様子を見ることにした。

そして、1週間が経ち、レッスンに。
まずはテクニックの本から・・・いきなり、左手が1オクターブ違うところから弾き始める(真ん中のドが入っているファラドの和音なのに、その1オクターブ下で弾いていて気がつかない)。
自分は、オクターブ違いをしているとは言わずに、単に、
「左手の音、違うよ」
と言ってみると、数秒考えてから、楽譜の位置で弾き始めた。
この「数秒」というのが、自分にはとても長く感じられる。

真ん中のドを、幼い頃からピアノをやっているのに、1オクターブ下で弾いても気がつかないこと、そして、間違っていたことを深刻な事態だと、この生徒さんは特に思っていないことが、やはり良くないことだ。
つまり、楽譜の読みそのものの基本と、楽譜を読むことの意識そのものを、根底からレッスンしていくことをやらなければいけない。

他の曲と、教本の出来もみてから決めようと思ったが、この時点で、やはり基本の「基」からやってもらうことを、言う決心がつき、教本と曲のレッスンを少し早めに切り上げて、先日楽器店にて購入して用意した、初歩の本を楽譜棚から出した・・・つづく。
「この1年で成長したなぁ」と思う生徒さんのことを先日書いたが、逆にそうでもない生徒さんもいるのも事実。

その中で、今回は少し思い切った改革をしようとしている話を、おそらく、シリーズもの(?)で書いていく予定。
以前から、
「このままでは、何とかしないと・・・」
とは、かなり以前から思ってはいたものの、なかなか初級を抜け出せない生徒さん。

知人の指導者の諸事情によって、この生徒さんを引き継いだのは、だいたい1年半前だろうか。
当初から、持ち曲は3曲で、テクニック系、教本、何かの曲というスタイル。

期間をかければ、例えば発表会などのために、実力よりも一段くらい上の曲を仕上げることは可能で、実際に演奏もそれなりには聞こえるし、レッスンで指摘したこともその場では理解できているようには見える・・・
だが、普段は譜読みが遅く、譜読み間違いも少なくないのは、当初から気になっていた。
しかも普段の教本のレヴェルも演奏のレヴェルも、この1年くらいあまり上がっていないのがどうにも気にかかる。
週によっては、譜読みが進んでいる時があるが、途中から弾くように言うと即座に対応できないので、家族の誰かに教えてもらっているのだろう。

譜読みは、誰にも手伝ってもらわずに一人でやること、楽譜の読み方の再確認は、教本で毎回のようにやってきたつもりだったが、引き継いだ当初よりは少しは改善したくらいで、まだまだの状態。
人によっては、そのままのレッスンでも次第に良くなることもあるし、ある時期グーンと譜読みができるようになることもある。

この生徒さんも、昨年の発表会での演奏が悪くなかったので、これを機に、もしかしたら二段くらいレヴェルアップしたのではないかと思い、それらしい曲をレッスンでも2曲ほどやってみて、それらは何とか仕上がったのだが、やはり譜読みに時間がかかり過ぎで、しかも不正確なところが多すぎるし、演奏の質も想定の範囲には及ばない感じだ。

この生徒さんも、もう小学校の高学年。
ピアノ歴の長さを考えると、もうブルクミュラー25練習曲程度の終盤などでも、もっと進んでいてもとも思うが、実際には、教本のレヴェルも演奏のレヴェルも、その序盤の域にも達していない。
原因はいくつかあるが、他の教室さんから来たのは小学生の低学年の終盤の時で、あまりに変な弾き方と、間違った知識の多さに唖然としたのだが、それらを少しずつ取り除くことに、かなり時間を費やした。

ヘナヘナに弾くクセは何とかとれてきて、楽譜を読むための必要最低限の知識なども徹底できたが、それが演奏にはなかなか直結できずに、このところの伸び悩みとなっている。
レッスン内容は随時見直しをしていたつもりで、そろそろ伸びてくる時期がくるだろうと、いつも思っていたのだが、結論としては、もっと根本に戻った方が、今後のためにはより近道なのかもしれない。

いや、もっと早くに、譜読みの基本に「基」に戻るべきだったのだが、自分としても生徒さんと保護者さんに、言い出すタイミンがつかめずに、ここまできてしまったが、この数週間、考えに考えた末に、それを伝えることにしたのだが・・・つづく
「この子、音大とか、そうした方向に行きたのかなって、少し前から感じていたんですよね。
でも、そこまでピアノの腕に自信があるわけでもなく、先生にもなかなか言い出せないようで、そのまま年数が経過してしまったのですが・・・」
と、とある生徒さんの保護者さんから聞かされた。

この話を聞いて、自分も、この生徒さんはそうしたことを考えているのではないかと、少しは思っていた。
だが、生徒さん本人が言わない限りは、自分はそうした音楽系の進学の話などはしないし、相談されれば真剣に考え、場合によっては力になるように最大限のサポートをさせてもらうが、それでも基本的に音楽の専門的な方向性へ進むことを、生徒さんにはオススメはしない。

この生徒さんも、もう中学2年生。
今の演奏の実力を順調に伸ばしていければ、難関どころでなければ、だいたい関東のどこかの音大ピアノには入れるとは思う。
ただ、今はそれに備えたレッスン内容では全然無く、バッハも古典ソナタも何もやっていないし、エチュード系も手薄。
それでも、モーツァルトの変奏曲もショパンのワルツもドビュッシーもそれなりに弾けるのは、生徒さんのがんばりだと思うが、専門を考えると、レッスン内容はかなり変えて、しかも演奏の基礎力を見直し作業は必須。

生徒さんは、高校進学を前にして、ようやく1つの結論はだしたようだ。
それは、勉強をがんばって大学受験に備えるために、進学校の高校へ進むこと。
将来は、小児科医になりたいとも以前から思っていたらしいので、それに向けて、しっかりとした学力をつけるために勉強もがんばるようだ。
生徒さんは、ピアノは大学受験ギリギリまで続けたいそうだが、
「音大は、来世にします(笑)」
と言っていた。

自分もそれは良いことだと思ったので、
「音楽の専門へ行ったら、ピアノなんてある程度弾けて当たり前だけれど、小児科医でピアノ上手な方が、100倍かっこいいよ」
と言って、
「では、将来医者になってお金をためて、良いピアノを買う目標にするために」
と、ドイツのピアノ2社と、日本のピアノ1社のカタログを差し上げた。
特に難しくもない曲の譜読みを、たくさんミスして読んできたり、オクターブ違いで弾き始めるのも、減ってはきたが無くはない。
そういう意味では、レッスン中に自分としても、多少のストレスを感じることが無いわけでないのだが、
この1年くらいで、レッスン中に、
「いい音楽しているなぁ」
と感じることが、時々ではあるが、多くなってきたように思う。

振り返ってみれば、初めて聴いた(見た)時には、かなり良くない演奏状態だった(おそらく、数年前に書いたように思う)。
たしか、暗譜している古典ソナチネとカバレフスキーなどを弾いてくれたのだが、暗譜ミスが1つや2つではないような演奏。
打鍵は全てに浅めでデュナーミクは何もなく、リズムも崩れ気味。
レッスンを進めても、譜読みは遅いなんてものではなく、しかもミスだらけで、何から手をつけていいのかわからない状態・・・。

それが、気がつけば、中学生になって、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンなどを中心に、これくらいは弾けるようになったのだと、このところの成長を感じている。
テクニック的に向上したのも大きいが、ピアノを弾くということが、感覚的に身に付き始めの入り口には来ているような状態と言ったらいいのだろうか。
そうした気配は、小学生の終わり頃に既にあったのだが、この1年くらいで格段に向上してきた。
持ち曲が6曲でよくがんばっていると思うし、常にバッハを継続できているのも良いところだ。

最近レッスンでやっているのは、ご存じの方も多いシベリウス「樅の木」。
レントでの音の気遣いに苦戦していたが、聴くことを意識させると、本当に良くなり、アルペジオも音楽になってきた。
この3年間くらいで、大人の生徒さんも含めて確か4,5人は弾いたと思うが、やはり、この生徒さんが、「捉えた曲想を、ピアノ演奏として表に出す」ということが、最も出来ている。

もちろん、「まだまだだなぁ」と、自分が感じることも多いのも事実。
だが、「まだまだだなぁ」と、生徒さん自身も少しずつ高い次元で感じている様子なのも、成長のあかしだろうか。

この感じだと、ブラームス「ラプソディ2番」 ベートーヴェン「ソナタ8番1楽章」などは、今年中に弾かせてみたいが、やはり譜読みスピードはもっと上げていく必要がありそうだ。
それと、近現代作品をどれくらい取り入れることができるのかも、課題かもしれない。
少し前に、「演奏会に出ませんか~。何弾いてもらってもいいので~」といった感じのお誘いがあった。
とてもありがたいことであるし、自分としても前向きに検討というか、何となくOKの返事をしてしまったのだが・・・

演奏会に、テーマというかコンセプトのようなものがあることは理解できた。
だが、曲の選び方などに関する詳細を一応聞いてみたが、詳細な条件(曲数、時間など)があるのか無いのかもはっきりせず・・・自分としては、演奏会に出る時には、簡単でもいいので、何か書いてあるような紙切れとかメールの文書のようなものが無いと、何となく落ち着かないのも事実で、きっとそうしたパターンに慣れているからだろうが・・・まあいいのかな、気軽に考えておけば。

ただ、「何弾いてもいい」というのは、本当はどこまでいいのか?
当然だが長大な曲を用意して、主催者さんを困らせるようなことをするつもりなどは全く無いが、2分くらいの曲を2曲でおしまいというわけにもいかないだろうから、無難に持ち時間が15分程度だと思っていればいいのだろうか。

曲のジャンルとしては、主催者さんはおそらく、モリスにはフランスの近代、現代作品を期待されている(?)のだろうから、それを最低でも1曲は入れようと思うし、特に考えなくても自分の場合は、そうなることが多い。

しかし、1つ確認しておこうと思うことが。
もともとピアノ曲ではない曲でも良いのだろうか。
というのも、自分としては久しぶりに変奏曲を少し弾いているのだが、これは元がピアノ曲ではない(しかもフランスものでもない)。
民謡のような旋律の変奏曲があり、それをさらに他の人がピアノ曲にアレンジしたバージョン。
変奏曲としては、全体的に原型が崩れない程度の装飾的変奏曲なのでわかりやすく、それなりに楽しめる曲だと思うが、「ピアノ曲」かと言われるとちょっと違うようにも思う。

例えば、リストが編曲したものは、リストという大ピアニストで作曲家の編曲でもあり、また、もう既に時間が経過しているせいもあり、シューベルト=リストのように、元がピアノ曲ではなく歌曲の編曲ものだとしてもリストのピアノ曲だと認知されているだろうが、比較的最近の編曲者さんの編曲だったり、昔でも無名に近い編曲者が、オーケストラ曲や歌曲などをピアノ曲にしたものは・・・
これは、いずれ主催者さんに確認が必要になりそうだが、たとえ演奏会などで弾かなくても、練習会などでも披露できればいいので、継続して弾いていくことになりそうだ。
先日のおでかけで、何人かの演奏を聴いたり、お話を聞いて、自分とてもいろいろと感心したことがあった。

その1つが現在の皆さんの取り組み。
ある方は、メンデルスゾーンの無言歌集をかなり集中的に弾かれいる様子。
他のドイツものも弾かれていて、おそらく他にも大きめの曲も弾かれているのかもしれないが、無言歌集のように曲の規模も大きくなく、構成自体は複雑ではないが、歌曲のようにきれいに歌わせるような曲だがピアノ曲である曲集を継続して勉強されているのは、とても良いことだと感じる。
それは、これくらいの規模の曲が高い次元の安定で音楽表現できなければ、それ以上に大きい曲、難しい曲でもやはり苦しくなってしまうからだ。

自分も、無言歌集はレッスンでは小学生高学年から大人の生徒さんまで、よく登場する。
自身の練習でも、時々出してみては弾いている(当然だが、自分も練習はフランスの近現代に極端に偏っているわけではない。しかも、生徒さんのレッスンでは、フランス近現代はどちからというと多く無い)。

ある方は、バッハのシンフォニアの全曲制覇に挑戦中とのこと。
シンフォニア全15曲を弾かれた方はたくさんいるだろうが、この方はただ単に15曲を全て弾くのではなく、「全15曲を弾ける状態を維持」を目指してるらしい。
つまり、3曲手をつけたら、その3曲が弾ける状態であり、5曲ならやったなら5曲が常に弾ける状態という感じで曲数を増やしつつ、弾ける状態を維持していく作戦(?)のようだ。

これは、結構大変だと思う。
この話を聞いてから、自分が初めてシンフォニアを弾いた(シンフォニア一巡目の時期)はるかな昔を思い出してみたが、やはり1曲が合格で終えて次の曲に手を付けたら、その瞬間(!)に忘れてしまって、全然維持できなかったはず。
以前は暗譜していた2番や8番も今では暗譜どころか、すぐに弾けと言われても困ってしまう。おそらく、すぐに弾けるのは11番くらい。

この方の挑戦は、大いに期待したいし、15曲をしっかりと弾けたならば、他に挑戦しているというショパンにも必ず活きてくると思う。
先日のおでかけで、ちょっと面白かったのは、自分モリスの演奏を、聴いたり見たりして、その後の感想で、
「モリスさんは、こういう風に弾いているのが参考になった」とか、
「体や腕の使い方はこうで・・・」
「リズムが本当に崩れないですよね・・・」
「同じピアノなのに、音が・・」
「椅子の高さは・・」
「ピアノが響いているんですよね・・」
などなど、いろいろとお話をいただいたのだが、皆さん本当によく聴いているというか、見ているというか、研究熱心なところが感心した。

しかも、自分としては演奏に際して特に気にしていないようなところを、半ば解説(?)のような感想もいただいて、逆に興味深いと感じる。
例えば、自分は、体が大きくないせいもあり、体幹をしっかりと保つような演奏方法だと思うが、普段はそれ自体を意識し過ぎない程度に意識する程度である。
ただし、それがあまり無い方は、参考になったかもしれない。

腕や手の使い方などに関しては、これも披露したようにある程度弾いている曲に関してはあまり意識していないが、見ている方に少し注意してもらいたいのは、「その動作の使い方によって音を出している場合」と「演奏の結果としての動作の場合」があるので、単に似たような動きをすればいいわけではないと思う。

他には、リズムに関しては、これは自分のイメージで弾いているだけだと思うが、それを高い確率でピアノ演奏に反映できているとするならば、体と脳と手の一致のようなことと関係があるのだろう。つまり、先に述べた体幹とも無関係ではないのかもしれない。

椅子の高さは、今は、気持ち高めが自分の中での流行のように思う。
これも、また少し変わる可能性もある。

ピアノの音に関しては、もちろん純粋に技術的なこともあるだろうが、ピアノを弾くことは、常に「弾く前のイメージと、実際に出た音の差」の認識をどれだけできるのかも重要のように思う。
これに常に気を配った練習を心がけているかいないかで、演奏は大きく変わってくる。
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