と、自分と交流のあるピアノ指導者Tさんは言った。
その生徒さんは、N先生という(少しお偉い?)ピアノの先生に習っていたが、レッスン曜日の関係でどうしてもN先生のところへは通えなくなって、「仕方が無く」ピアノ指導者Tさんのところへ来たらしい。
そして、今までに弾いていた曲をいくつか弾いてもらうと、それが基本的な拍子感は皆無で、伴奏系の音が時々かなり目立っても気にしないような弾き方らしく、Tさんが言うには、
「ようするにね、N先生の演奏と似ているのよ」
ということだ。
改善はレッスンをしながらしていくのだろうが、Tさんが困っているのは、生徒さんのお母さんの勘違いのような意識らしく、
「うちの子は今までN先生に習っていたのですからね、音楽の感性も良いって言われていてねぇ」
という、よくわからないようなプライドがあるお母さんらしい。
その話を聞いて、自分は思わず笑ってしまったが、
Tさんは、
「笑い事じゃないのよ。N先生が良いというわけでも何でもないのは、モリスさんはお分かりでしょうけれど、一般的には『偉いピアノの大先生』だと思っている人もいまだに多いでしょう?
でも、あそこから来た生徒さんはこんな弾き方だし、あのお母さんの意識もそれはもう・・」
と言っていて、本当に笑い事ではない様子だった。
なんか、T先生に心から同情するなぁ(微笑) まぁ~でも、特に音楽の場合は、親自身が耳をよくする勉強が本当に大切なんでしょうね。
一般的に偉い大先生=やっぱり偉い大先生と、無条件で思ってしまいます。
でも、それだけにこだわってしまうと、とても危険ですね☆
自分の耳でよく聴いて、自分で考えることがいかに大事なのか、考えさせられる例ですね。。
「親力」ですか、そんな感じかもしれませんね。
でも本当に「親の耳」というのは、大事だと思いますよ。子供がどんな演奏をしているのか、しっかり聴いて把握できている親は、残念ながら極めて少数なのが現実だと思います。
Tさんのため息は、当分続きそうな感じです。
まりはんさん、こんばんは。
そうですね、偉い先生という意識が誰かにあると、周りの意識もそうなりますから、ある意味怖いですね。
でも、おっしゃるとおりで、自身の耳でよく聴き考えて判断することが重要ですし、親にも耳が必要なのかもしれませんね。